まるごと青森

藩命で生まれた金魚「津軽錦」がねぷたに!

藩命で生まれた金魚「津軽錦」がねぷたに!

観光スポット | 2006-02-08 10:55

可愛らしい「金魚ねぷた」にある奥深いルーツ

藩命で生まれた金魚「津軽錦」がねぷたに!

先日、取材の同行で弘前市の津軽藩ねぷた村に行きました。
大きなねぷたに圧倒されつつ、館内を見渡すと・・、ありました「金魚ねぷた」。

この「金魚ねぷた」、県立郷土館の成田さんからいろいろとお話を伺っていたら、なんと・・、とても奥深いルーツを伺ってきました。

金魚はもともと中国大陸から渡来したもの。しかし、江戸初期に書かれた書物はありますが、その時期は明らかではないのだそうです。
津軽には、1696年に鯉等と一緒に播州等から移入した説と、1760~70年に藩士が京都から持ち帰り藩主に献上した説とがあります。
天明年間(1781~1788)には既に藩士が藩の命により飼育、改良が続けら、その後、広く一般でも飼育されるようになったのだそうです。

昭和2年には、弘前金魚協会によってこの独特な趣のある地金魚は「津軽錦」と命名されます。

津軽錦の姿は、まん丸な体型と尾ビレが体長の3倍にもなるほど長大でしかも四ツ丸尾とも言われるように分かれています。
その中でも最大の特徴は、「背ビレがない」こと。

こんな優れた特徴と伝統を持つ「津軽錦」を原型に創出されたものが「金魚ねぷた」なのだそうです。

長い間、藩命によって飼育、改良を続け、それがいよいよ完成されたことは、当時、津軽の人たちにとっては大いに興味や関心も高かった。
「津軽錦を見たい!」
そんな想いの高まりで作り出したのが、「金魚ねぷた」なのではないか。
当時の人たちの喜びであり、かつ誇りそのものだったのではないか、という主旨のことを書かれた資料を成田さんからいただきました。

金魚ねぷたは、津軽錦の特徴をみごとに捉えているんだそうです。

いまでは見ることができなくなった藩の夢「津軽錦」は、産業にして、他藩との交易にあて、藩財政の一助に、と予定していたものだったようですが、実現することはありませんでした。
しかし、「金魚ねぷた」として形を変え遺され、いまに伝承されている、こうした先人の思いと伝統とそして民俗。これこそ大切にしていきたいものだ、と改めて思ってしまいました。 byなおき

 ※最後の写真、お店の玄関先に飾ったものです。
   どこの玄関でも、こんな風にすると、即席「津軽」間違いなしです!
   内側に明かりの入った金魚ねぷた、津軽藩ねぷた村も販売しています。

掲載されている内容は取材当時の情報です。メニュー、料金、営業日など変更になっている可能性がありますので、最新の情報は店舗等に直接お問合せください。

青森の観光・物産・食・特選素材など「まるごと青森」をご紹介するブログ(blog)です。
青森県で暮らす私たちだからこそ知っている情報を県内外の皆様に知っていただく記事をお届けします。

タグ別記事一覧

果物山菜・きのこウニ温泉ジオパーク津軽土産アニメあんこう万年筆えんぶりカフェ・レストラン米・パン・穀物津軽海峡自転車ガイドパッケージ買いクラフト風間浦鮟鱇ステンドグラス建物お酒寿司白神山地周辺津軽弁金魚イベントハンドメイド#郷土料理#青森グルメラーメン野菜居酒屋・バーカレー缶バッジおにぎり海藻唐揚げ#お家ごはん中華料理スイーツ魚介種差海岸まつりカンバッジうにぎりわかめ和栗インバウンド#料理エビチャーハンまち歩き肉・卵十和田湖アクティビティおみやげ岩のりe-sportsスタンプお家でシリーズBUNACO白神山地体験レポート伝統工芸田んぼアートマグロお土産津軽弁缶バッジ寒海苔お盆スーパー植物#だし青森県郷土料理三味線ご当地蔦沼寺山修司カフェ迎え火・送り火ハンコ担々麺#アートアウトドアツアー歴史・文化紅葉新緑八戸ブックセンターコーヒー嶽きみコケシ辛い#青森県立美術館自然アートランチライトアップイルカプリン熱帯魚クリスマス種差#自然グルメ弘前公園陸奥湾おやき焼き鳥グランピング#エビの釣り堀食堂ブナコ弘前城フェリー三社大祭日記雪見温泉月見#釣りヒバ津軽八甲田尻屋埼灯台館花岸壁朝市ポップアナログレコード#手帳鉄道青森岩木山尻屋埼宵宮横丁露天風呂青森県、色彩#桜りんご三内丸山遺跡白神山地毛豆寒立馬美術館最強毛豆決定戦妖怪#食ねぶた・ねぷた奥入瀬渓流絶景太宰治灯台青森土産きのこ鮟鱇JOMONトーク伝統芸能

まるごと青森Facebookページ始めました。
登録がある方はもちろん、ない方も登録して下記ページで「いいね」のクリックして、まるごと青森ブログともどもご愛顧をよろしくお願いいたします。
まるごと青森FBページ

月別記事一覧

月別一覧ページへ