可愛らしい「金魚ねぷた」にある奥深いルーツ
先日、取材の同行で弘前市の津軽藩ねぷた村に行きました。
大きなねぷたに圧倒されつつ、館内を見渡すと・・、ありました「金魚ねぷた」。
この「金魚ねぷた」、県立郷土館の成田さんからいろいろとお話を伺っていたら、なんと・・、とても奥深いルーツを伺ってきました。
金魚はもともと中国大陸から渡来したもの。しかし、江戸初期に書かれた書物はありますが、その時期は明らかではないのだそうです。
津軽には、1696年に鯉等と一緒に播州等から移入した説と、1760~70年に藩士が京都から持ち帰り藩主に献上した説とがあります。
天明年間(1781~1788)には既に藩士が藩の命により飼育、改良が続けら、その後、広く一般でも飼育されるようになったのだそうです。
昭和2年には、弘前金魚協会によってこの独特な趣のある地金魚は「津軽錦」と命名されます。
津軽錦の姿は、まん丸な体型と尾ビレが体長の3倍にもなるほど長大でしかも四ツ丸尾とも言われるように分かれています。
その中でも最大の特徴は、「背ビレがない」こと。
こんな優れた特徴と伝統を持つ「津軽錦」を原型に創出されたものが「金魚ねぷた」なのだそうです。
長い間、藩命によって飼育、改良を続け、それがいよいよ完成されたことは、当時、津軽の人たちにとっては大いに興味や関心も高かった。
「津軽錦を見たい!」
そんな想いの高まりで作り出したのが、「金魚ねぷた」なのではないか。
当時の人たちの喜びであり、かつ誇りそのものだったのではないか、という主旨のことを書かれた資料を成田さんからいただきました。
金魚ねぷたは、津軽錦の特徴をみごとに捉えているんだそうです。
いまでは見ることができなくなった藩の夢「津軽錦」は、産業にして、他藩との交易にあて、藩財政の一助に、と予定していたものだったようですが、実現することはありませんでした。
しかし、「金魚ねぷた」として形を変え遺され、いまに伝承されている、こうした先人の思いと伝統とそして民俗。これこそ大切にしていきたいものだ、と改めて思ってしまいました。 byなおき
※最後の写真、お店の玄関先に飾ったものです。
どこの玄関でも、こんな風にすると、即席「津軽」間違いなしです!
内側に明かりの入った金魚ねぷた、津軽藩ねぷた村も販売しています。
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