津軽を代表する工芸・津軽塗は、
それを支える数多くの職人によって成立しています。
以前、その中の木地職人さんとお話する機会がありました。
木地職人には、板を組み合わせる「指物師」と
ろくろを使って器を作る「木地師」がいます。
幕末の頃には、津軽全体で31軒もあった指物師も、
現在では1,2軒と言われており、土田木工所はその一つです。
土田木工所は、現在、3代目の土田亙さんの代です。
土田さんは父親に師事する形で木地作りを学びましたが、
木の特性を見極めきれず、力加減を誤り大けがをしたことも。
ある程度納得できるものを作れるようになるには
10年くらいかかったと言います。

木地作りは、材料となるヒバの原木選びから始まります。
津軽塗の木地は、青森県産のヒバが中心。
青森ヒバは厳しい条件のもと生育しているため、
非常に丈夫で、漆塗には最適と言われています。
土田さんも自ら山を歩き、
山の環境や生育状況を確かめながら原木を選んでいます。
選んだ原木は、最終形をイメージしながら製材し、
その後5年ほど寝かせてからでなければ加工に入れません。
加工はすべて手作業です。
塗り師の要望や癖に合わせたミリ単位の調整が必要となる
職人だからこそできる仕事です。

最近は中国産の木地なども出始めていおり、
土田さんが作る手間暇と時間をかけた木地は、
本当の意味で一生もの津軽塗の素材となり得ますが、
その作業に見合った価格では中国産に対抗できないため、
価格を抑えざるをえず、
職業として魅力がないため、
後継者も当然のように続いていません。
「最近では良質のヒバを調達するのも難しくなってきている。
10年もすれば津軽の地には木地職人はいなくなるんじゃないかな」
土田氏が現状を憂いて話したのに対し
父弘昭氏が「おまえががんばれ」と語りかけたのに、
職人の親子を見た気がしました。

このような人たちを見ていると、
安いものを追い求めるのではなく、
良いものを見極める「目」を育てること、
それに見合った対価を支払うことの必要性を感じました。
by YOSHIHITO