春間近の2018年3月、作家の吉永みち子さん、大岡玲さん、角田光代さんが2泊3日かけて青森を旅して歩いた。皆さまの心に、青森はどう響いたのか。今回、案内役を務めた地元・青森市出身の物書き・山内史子が、僭越ながらその模様をお伝えしたい。
一行が最初に訪れたのは、五所川原市金木町。言わずと知れた、太宰治の故郷である。生家「斜陽館」「太宰治疎開の家(旧津島家新座敷)」と巡り、それぞれに贅を尽くした造りを眺めながら吉永さんがつぶやく。
「津島家の財力は、本から想像する以上にすごい。はんぱじゃない。金木に来ると、太宰の複雑な心境がリアリティをもってきますよね」 太宰の生涯は故郷や津島家の存在に大きく影響され、作品にもそれが色濃く反映されているため、金木を歩けばあれやこれやと場面が思い出される。心情への理解も深まる。生家をはじめ文学ゆかりの地は全国にあるが、これほどまで作家の心に入り込める感覚を楽しめる場所はほかにないと断言してもいい。ともに、ガイドさんたちの解説がめっぽう面白いのも魅力だった。
来館者が絶えない様子に「人気の高さを感じますよね」と感慨深く語る角田さんは『女生徒』がお気に入りだが、暗い印象が強かったため一時期は太宰から距離をおいていたという。
「30代になって読み返して、明るさに気づいたんです。ひとつひとつの言葉が心に残り、コピ ーライターのようだとも思いました」
なるほど、「人間失格」「生まれて、すみません」「汝を愛し、汝を憎む」など、愛読者以外の記憶にも数多くのタイトルやフレーズが刻まれている点でも、太宰は突出している。高校の後輩であるわたくしは、誇らしさと嬉しさがこみあげもちょこちゃい気分にかられてしまう。
その後、一同が食い入るように見入ったのは、『思い出』に登場する雲祥寺の地獄絵だ。
「これ見たら、心がねじれますよねえ」と、吉永さんは苦笑。血と炎の鮮烈な赤と人々のゆがんだ表情が、幼心に強烈な印象を残したのは想像に難くない。大岡さんも、目をぐりぐり。「これはすごいなあ。しかも、毎年、限られた期間の公開だったんですよね。見られない分、想像がふくらんだんでしょう。高等小学校で聞いた話が『走れメロス』の礎になったように、太宰さんは記憶力が良かったから……」
金木に別れを告げての夕食は、弘前の居酒屋「土紋」。今回の旅の仲間は、とびっきりの食いしん坊&のんべえ揃い。
「豊盃」を片手にイガメンチ、たらたまなど津軽の郷土料理に舌鼓を打ちつつ、大岡さん曰く「メエメエメエと羊たちの大合唱」になった。
なかでも、「東京とは違う生き物!」と絶賛を浴びたのは筋子。とりわけ「魚卵部」なる体に悪い集いのメンバーである角田さんは、「ドキドキします~!」と目を輝かせていた。
筋子納豆が太宰の好物という話から、ふたたび思いは金木へ。太宰がもし、津島家の長男だったとしたら、屈折せずにまっすぐに生きられたのなら、との想像を皆で巡らす。とびきり頭のいい人だったから、有能な政治家になっていたのか。あるいはやはり、世間を騒がす事件の主役になっていたのか……。
さらには、『トカトントン』(「太宰治疎開の家」で執筆)がモチーフとなった大岡さんの短編『ちんちんかゆかゆ』(『たすけて、おとうさん』/平凡社に収録)に話題が及ぶ。大岡さんのリズミカルな言葉が、『津軽通信』に登場する黄村先生の語りそっくりで、酒の匂いにつられて太宰がやってきたのかも、と愉快に思っていると、意外な告白が……。
「恥ずかしい、どうしよう、となったときにそれを重ねたくなる。僕はそんな太宰の心情が、よくわかるんですよ」
『ちんちんかゆかゆ』は読後、呪いのごとくタイトルが頭から離れなくなる悩ましい作品。『走れメロス』に関する非常に興味深い考察がなされた『本に訊け』(光文社)と合わせてご一読いただければ、「土紋」での楽しい酒宴の様子がわんつかでも垣間見えるかもしれない。
次回、「物書きたちの青森旅 その2 寺山修司編」へ続きます。
太宰治記念館「斜陽館」 住所:青森県五所川原市金木町朝日山412-1 電話:0173-53-2020 太宰治疎開の家(旧津島家新座敷) 住所:青森県五所川原市金木町朝日山317-9 電話:0173-52-3063 土紋 住所:青森県弘前市代官町99 電話:0172-36-3059 | |
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Webサイト | 太宰治記念館「斜陽館」 太宰治疎開の家(旧津島家新座敷) 土紋 |
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