スコップが楽器に変わる日 「スコップ三味線ヒストリー」
津軽が生んだ魂の音色 「津軽三味線」。
熱く 時に激しく 弾き、叩き 聴く者の 心を揺り動かします。
五所川原 津軽三味線はこの地で生まれました。
そして、五所川原はもう一つの三味線のふるさとでもあります。
スナックに勤める男がいました。
店に流れる演歌に津軽三味線が聞こえていたある日、店の客に言われました。
「ほうきはないか?」
その客は「ほうき」で三味線を弾く真似をしたがっていました。
「男」は家に帰り、考えたそうです。
そして、家中を見渡しながら、三味線に似たものを探してみました。
その時、ふと、思いついのが、「外に置いてあった雪かき用のスコップ」
バチになるものも探しました。あった。「栓抜き」。
その日から、男は毎日、芸を磨くように研鑽を積んだようです。
一週間後、練習している男の脇でテレビが、「岸千恵子」を映していました。
流れる曲は「千恵っ子よされ」。
曲の中で津軽三味線が流れ続ける歌でした。
男は、曲に合わせて弾いてみました。「いける。」 確かな手応えがここにありました。
1989年(平成元年)、ここにスコップ三味線が生まれました。
男は店で演奏しました。
拍手喝采と爆笑の渦が店に広がります。
男の噂を聞きつけて、この「もう一つの三味線」に人が集まりだし、
ついには、五所川原市中のスナックから演奏依頼が殺到しました。
男は、人にも教えました。
これまでで500人は下らない、と男は言います。
いつしか「スコップ三味線」が演奏できる人が増えてきました。
しかし、男は言います。
「自分は、千恵っ子よされでしか演奏しない。」
男は、自分のルーツを守り続けています。
津軽三味線には、名演奏家と言われる「高橋竹山」がいる。
この男、自らをスコップ三味線演奏家「館岡屏風山」と呼んでいます。
酒の席はもちろん、結婚披露宴での余興などで大ウケの「スコップ三味線」は青森県五所川原市で生まれました。
楽器となるスコップ(館岡屏風山こと高橋師匠は「三味線」と呼んでいます。)は、津軽弁で「サフロ」とも「サフリ」とも言われ、農作業や雪かきのときに使う、先の平べったいもので、鉄製のものです。地元では最近はアルミニウムのものが出回り、鉄製のものはいまでは貴重品となっています。
師匠の三味線は、89年誕生時にはすでにご自宅にあったという20年以上前のものです。
弾き方となるのは「栓抜き」です。師匠は「バチ」と呼んでいます。
師匠のバチは、十和田湖みやげの大型のもので、以前は文字などが印刷されていたものです。お店の新人従業員が単なる栓抜きと間違い、そこかしこに置きっぱなしにするので、店内が大騒ぎになったこともしばしばあったという、師匠がこよなく愛する「バチ」です。
スコップ三味線は、岸千恵子の「千恵っ子よされ」に合わせ、スコップの裏面に栓抜きを打ち付けます。単に打つのではなく、スコップにある2つの凸部分が微妙に音が違うことを利用したり、凹部分で弾いたりと師匠の技法は多彩です。
左手は、スコップの竿を持ちます。
さも三味線を弾いているかのような指さばきが見せ所です。
こんなすてきな五所川原。
青森の旅で、一度は見て欲しい演奏です。 byなおき
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