下北半島 津軽海峡 下風呂温泉 (しもふろ・おんせん)
本州最北端「下北半島」。
津軽海峡に面したほぼ中央に、海峡が見える温泉郷「下風呂温泉」があります。
◇「上風呂の恐山」に下風呂◇
下風呂は、康正3年(1457年)の下北図に「湯本」と記された550年以上の歴史を持つ温泉郷です。アイヌ語の「スマ・フラ」に由来するとされ、スマは岩・石の意、フラは臭いの意で、硫黄が吹き出るため周囲の岩石が臭い所からきたものと言われています。
地元では恐山を「上風呂」に見立て、ここを下風呂とした、とも言われています。
◇室町、江戸、明治へと続く湯治場◇
室町の頃、下風呂は「湯本」と呼ばれていました。
湯本とは、箱根湯本といった古く温泉地に冠せられた言葉で、下風呂も早い時期から温泉で知られたところでした。
江戸期に入ると南部藩公認の湯治場として栄え、明治以降も温泉でにぎわい、下北郡一、人と物が行き交う豊かな風土だったと史書にもあります。
◇文豪「井上靖」が描く「海峡の湯」◇
昭和32年から読売新聞に連載した井上靖の小説「海峡」は下風呂温泉を一躍有名にしました。
綿密な取材をもとに旺盛な作家活動を展開したと言われる作家井上靖は、下風呂温泉に赴き厳寒の下北半島を取材し、その冷え切った体を下風呂温泉で温めていたようです。
下風呂温泉を描いたこんな一文が、この小説「海峡」にあります。
ああ、湯が滲みて来る。
本州の、北の果ての海っぱたで、
雪降り積もる温泉旅館の浴槽に沈んで、
俺はいま硫黄の匂いを嗅いでいる。・・・
◇公衆浴場「大湯」◇
下風呂温泉には湯治場の風情を今に残す二つの共同浴場があります。
下風呂の自由寺に残されている貞享4年(1687年)に書かれた薬師如来記には既に大湯の湯小屋が確認されています。
ひばの板が敷き詰められた歴史を感じさせる大湯は硫黄泉で乳白色。湯花が舞う湯壺から上がれば、朝まで温かく、心も体も癒されます。
湯元の温度は66度。二つある湯壺は、それぞれ加水されていますが、熱い湯と適温の湯に入浴客が調整してくれています。どちらが熱い湯になっているかは、その時々で違うようで手を入れて確認して入ってください。
◇「新湯」◇
発見は寛政年間頃(1800年前後)とされていますが、新湯の名のとおり、一般に利用されたのは大湯に比べ新しい温泉です。
大湯に比して乳白色は薄いのですが、骨の髄から温まると熱心に通う方々で賑わっています。
大湯の湯船は2つありますが、こちらは中心に一つあるこじんまりとした浴場です。
新湯のすぐ上にある湯元の温度はなんと「95度」。
加水して温度を下げて入ります。それでも体に効くと熱心に通い詰めている方々のいる浴場です。
温泉好きの方は是非はしごを・・。byなおき
「花より団子」みたいですが、夏の下風呂と言ったら、やっぱりコレ。。。
さすがは、下北! うにがデカイんです。
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