実りの秋到来!
秋の気配の感じ方は人それぞれ。
私に秋の気配を感じさせてくれる典型的なものがぶどうです。
ぶどうは、栽培の施設化や輸入のおかげで年中店頭に並ぶようになりましたが、
地元産のぶどうが店先に並び始めると、もう秋なんだな~と感じてしまうのです。
※ちなみに、りんごだと「秋だー!」という感じになります。
なかでも秋への移ろいを色濃く感じさせてくれるのが、
昔なつかしい黒ぶどう「キャンベル・アーリー」です。
この品種は、1892年アメリカのキャンベル氏によって育成された品種で、
日本には明治30年(28年という説も)に導入され全国各地で栽培されてきました。
今では、大粒品種や種のない改良種、甘味が強い新品種に押されて栽培面積が減少し、
産地は東北や北海道、岡山などに限られてきたようですが、
青森では今でも主力品種で、県南地方を中心に栽培され、県産ぶどう全体の約3割を占めています。
キャンベルアーリーの果皮は紫黒色、一粒はスチューベンよりやや大きい5gほどで、果肉は適度に酸味があり、その奥に深い甘味が凝縮されているようです。色も味も濃いキャンベル・アーリーは、ジュースやジャム、ソースなどの調理にもぴったり。甘いだけのぶどうではこうはいきません。
スチューベンがよりおいしくなる冬までの間、
キャンベル・アーリーやナイアガラ(写真奥)など、昔ながらの青森ぶどうを楽しんでみてはいかがでしょう。by 義人
青森のぶどう栽培
日本のぶどう栽培の歴史は約800年。
山梨県の山の中で発見された「甲州」が始まりで、藩政時代には年貢として認められるほどだったようですが、本格的なぶどう栽培が始まったのは明治になってから。
同8年、内務省勧業寮が外国から輸入したぶどう苗木を全国各県に配布したのが始まりです。
青森に導入されたのもこの年。りんご苗木と一緒に内務省勧業寮から配布されたと記録されています。ところが、日本に入ってきたのは品質の良いワイン用のヨーロッパ種で、雨に弱かったため、日本中のぶどう栽培はことごとく失敗し、青森でも「カマド消しの元」と嫌われたようです。
その後、「フジタのブドー液」で有名な藤田農園(当時)が、ぶどう酒製造のために大規模なぶどう園を開園したのが明治16年。青森県のぶどう栽培の始まりと言われています。さらに、雨に強く栽培しやすいアメリカ種「キャンベル・アーリー」が導入され、南部地方のぶどう栽培がスタートするわけですが、日本に伝わったのが明治30年(藤田農園には同35年)だったわりに、南部地方への定着は大分遅れ、大正10年のことだったと言います。
それから、長い時間をかけて青森に適した栽培方法が研究され、今日のぶどう産業につながっていきます。最大の特徴は仕立て方。全国的に見ると棚仕立てが圧倒多数なのですが、本県だけは、太陽光がよく入り積雪にも強い垣根仕立てを採用しています。
これまでいろいろな品種が導入され、栽培されましたが、現在県内で栽培されている品種は、最も多いのが昭和50年頃から津軽地方で増殖されたスチューベン(全体の約6割)、次が南部地方に残るキャンベル(約3割)で、そのほかポートランドやナイアガラ、最近注目の新品種サニールージュなどとなっています。
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