「良い食品を作る」ひたむきな志 かくた武田
毎日、新米食べてます?
今日はご飯にぴったりの納豆のお話。
青森市の納豆製造業「かくた武田」の物語です。
こちらの創業は、1904年(明治37年)。
全国的にも先駆けての創業です。
創業時は「藁のつと」に蒸かした大豆を入れた自然発酵。
自然の作用を待つため、失敗も多かったようでした。
国内で初の納豆菌培養に成功
そんな中、明治38年、東京大学の沢村博士が納豆菌の分離に成功。
大正年代になるとこの納豆菌の純粋培養に関する研究が大学などで進んでいきます。
納豆菌研究で有名な北海道帝国大学の半沢洵教授は、納豆を藁つとの自然発酵法から、より衛生的で文化的な食品とするために、納豆菌を使った経木や折箱を容器とする納豆づくりを提唱していました。
「かくた武田」の初代左吉は、さっそく衛生的で文化的なこの納豆に注目しましたが、性質が安定的でかつ実用的な培養納豆菌がなかったことから、自社で納豆を作るかたわら、自ら納豆菌の培養についての研究を始めます。
そして苦心の末、昭和になり、納豆菌の研究で著名であった盛岡高等農林学校(現岩手大)の村松舜祐博士の知遇を得て、いよいよ左吉は国内で初の実用的な納豆菌培養に成功し、納豆の「近代的発酵法」を確立します。
その過程で、わずかな温度差が納豆菌発酵に作用し、製品に決定的な影響をあたえることから、発酵室を工夫したり、藁つとの代わりとなる経木や折箱の容器開発にも先駆けて取り組み、納豆の近代化に大きく影響を与えていきました。
納豆メーカーであり、培養した納豆菌を生産販売するメーカーとなったかくた武田。
自らが作り上げたこの近代的発酵法を世に広め、衛生的で文化的なこの納豆の普及を図るため、二代目信太郎は、全国を飛び歩きます。
それと同時に全国の納豆製造者もここかくた武田を見学に訪れるなど、この近代的な納豆づくりが普及されていきます。
ひきわり納豆にも新しい風
納豆菌の普及と製造方法を伝えるため全国を飛び回る二代目信太郎は、当時からカメラ好きなハイカラな人物であるとともに、納豆の新しい取り組みにも果敢にチャレンジする人でもありました。
津軽が発祥とされる「ひきわり納豆」は既に当時からありましたが、その材料には大豆を煎って固く締めてから砕いたものを使っていました。
このためひきわり納豆は納豆そのものの風味が違っていました。
そこで、二代目信太郎は、試行錯誤の中から苦心の末、生の豆からひきわり納豆を全国で初めて作り出します。
関東方面の「丸:ひきわり」比率は、9:1。圧倒的に「丸」。
しかし、青森に来ると「丸:ひきわり」比率は、6:4。
青森の「ひきわり好き」も、こうした納豆やさんのひきわりをおいしく作る技術があってのものなのかな、と思ってしまいます。
そして、「青森納豆」の神髄に触れていきますよ~。
・・・・と思いましたが、ブログにしては長すぎ、とYOSHIHITOからご指導がありそうなので、明日また書きます。 (※翌日の記事はココ)
最後におまけの画像です。 byなおき
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