※この取材は昨年秋にしたもので、当時の社長である福士収蔵様を通して、青荷温泉の魅力をお伝えしようとしたものでしたが、現在の青荷温泉の社長は諏訪定勝様です。
以下にある福士社長は福士前社長と読み替えてお読みください。
あの人に会いにこの温泉へ 青荷温泉 福士社長
青荷温泉の歴史は、黒石市板留の丹羽旅館の次男であり、1959(昭和34)年11月3日、第1回県文化功労賞受賞の栄誉に輝いた、青森県の歌人「丹羽洋岳(にわようがく:本名丹羽繁太郎)」が1931年(昭和6年)に開湯したのから始まります。
まだ70年ほどの歴史ではありますが、歌人の湯だけあって、全体として鄙びた風雅を感じさせてくれます。
いつも笑顔とユーモアを絶やさない青荷温泉の顔 福士収蔵社長は、この開祖「丹羽洋岳」の二男、福士収三の子。いわばお孫さんにあたります。
福士社長がまだ学生で東京にいた頃、黒石に帰っても仕事がない、と進路に迷っていた時、洋岳がここ青荷を指し言ったそうです。
「ここで頑張ればいい」
福士社長は、この人里離れた青荷川の風雅な土地を開発していくことに非常にやりがいを感じ、移り住みます。
しかし、最初の1年目で青荷温泉は倒産。
洋岳の芸術仲間からの紹介もあって、弘南観光が経営再建をかってで、昭和47年株式会社として再出発をすることになります。
バス会社が経営する秘湯。
しかし福士社長が青荷温泉の顔として常に前に出て活躍していきます。
底抜けに明るい、前向きな性格もあって、倒産の憂き目にあってもユーモアを持って笑ってここまできます。
当時から「福士支配人」と慕われ、彼に会うために訪れる、そんなお客様にも恵まれていきました。
・・・そして 「秘湯ブーム」。
青荷温泉は人里離れた幽玄の森に佇む鄙びた一軒宿。
秘湯中の秘湯。全国にその名が徐々に知れ渡っていきます。
青荷温泉に電話が敷設されたのは、昭和59年。
当時の電電公社の方々から電話の受け答えなども教えていただいたそうです。
そのとき、「はい、青荷温泉です。」では、物足りない。
何か、名前の前につけた方がいい、ということで、始まったのが、
「はい、ランプの宿 青荷温泉です。」というフレーズでした。
それ以降、青荷温泉は「ランプの宿」で知れ渡っていきます。
福士社長は、青荷温泉の魅力を「何もないこと」だと言います。
いかに自分が贅沢だったのか。
便利さの中にいたのか。
不便なこの土地に来て、不便を楽しんで欲しい。
不便なこの土地で自分で楽しみを考え、自分で遊びを見つけて欲しい。
そして次の年にまたここで不便を楽しんで欲しい、と言います。
以前、仕事に忙殺された管理職の方が疲れ切って、逃げるように青荷温泉に休息を求め、やってきたそうです。彼は、この3日間、思いっきりやりたいことをしたい、とため込んでいた大量の本を持ってここにきました。
次に飯食って、その次風呂入って、と自分に鞭打つようにスケジュールを決め、本をむさぼるように読んでいたようです。
その日の夜、湯に浸かりながら、追われない、求めない、何もしないことこそが実は幸せなのでは、と気づいたと言います。
そして、その日から何もしない贅沢を満喫します。
時がこれほどゆっくりとしたものだったのか・・・。
風がそよぐ、木々がざわめく、そういった自然に耳を傾けることもできるようになりました。
帰り際、とても素敵な笑顔で「また来ます」と伝えていったといいます。
なにもないことを楽しむランプの宿 青荷温泉。
すてきなところです。
byなおき
掲載されている内容は取材当時の情報です。メニュー、料金、営業日など変更になっている可能性がありますので、最新の情報は店舗等に直接お問合せください。