車社会の中にいるので、
ガソリンの値上げが続いてかなりのダメージです。
こんな時はホント、公共交通機関のありがたさが身にしみますね(笑)。
運転免許など持っていなかった中高生時代や、
免許だけ持っていた大学生時代。
通学に、遊びにと、
公共交通機関に頼り切っていた頃が懐かしくて仕方ありません。
そんな懐かしい乗り物のひとつが中央弘前と大鰐を結ぶ弘南鉄道大鰐線です。
弘前の中心部と温泉の街・大鰐間を結ぶ弘南鉄道大鰐線は、1952年に前身の弘前電気鉄道が営業を開始し、1970年に弘南鉄道に引き継がれました。
最も賑わいがあるのは「中央弘前駅」。
この駅は、弘前市の目抜き通り「土手町」と飲食店がひしめく歓楽街「鍛治町」の真ん中にあります。地名が残っているように、戦前ここは、鍛冶屋をはじめ、左官屋、桶屋、銅細工師、鋳物師などが住む職人の街でしたが、戦後間もない昭和23年頃、町内にあった氷の貯蔵庫に2、3軒の飲食店が入ったのがきっかけで映画館が進出し、さらに弘前電鉄弘前大鰐線(弘南鉄道の前身)が開通、その後高度経済成長の波に乗って料理屋やバー、スナックなどが増えたのだといいます。
また乗ってみたい!
そんな思いが日増しに強くなった先月のある日、とうとう乗りに行ってきました。
「中央弘前駅」を出発してから2分弱。線路際まで迫った住宅街を抜けると「弘高下駅」です。駅前にある古い「天金食堂」の名物メニューは、いかにも学生駅の食堂らしい”特製ジャンボラーメン”とか。食欲旺盛な弘高生のためにつくられたメニューに間違いありません。
次は「西弘前駅」。この辺りは、その駅名にちなんでニシヒロと呼ばれます。恋も友情も生まれる大学生の社交場です。
土淵川沿いをさらに進むと見えてくるのが住宅街にある「城南駅」。沿線には弘前実業高校や聖愛高校があるため、朝夕は通学生らでにぎやかです。
「千年駅」。駅のすぐ隣にはかつて有名なバラ園がありました。残念ながら3年前の秋に閉園となったそうです。一本のバラも残っていない跡地には寂しさが漂っていました。
千年駅を過ぎると都市の風景から農村の風景へと変わります。
岩木山神社、猿賀神社と並んで信仰を集める小栗山神社にほど近い「小栗山駅」、
津軽藩主が京都から持ち帰ったとされる”清水森ナンバ”の発祥地にある「松木平駅」、
りんご名人が多いという大沢地区の「津軽大沢駅」。
東奥義塾の移転に伴って開設された「義塾高校前駅」の周辺も、田んぼとりんご園に囲まれた南黒らしい農村風景が広がります。
そして、ここまできたら買っておきたい「大仏餅」。「石川駅」から少しのところにあるむらかみ製菓さんの名物です。
弘南鉄道大鰐線で最も新しい「石川プール駅」は、市の清掃工場に併設された温水プールのオープンに合わせて開業しました。
津軽平野をトコトコ走ってきた電車はいよいよ大鰐町に入ります。
大鰐町最初の駅は「鯖石駅」。この辺りは、かつて石の名産地として栄えていたのだそうです。
鯖石駅を出てあっという間に到着する「宿川原駅」。民家が迫るこの駅を出てカーブを曲がれば、上りの終着駅となる大鰐駅に到着です。この駅はJR奥羽線「大鰐温泉駅」との共同利用駅。
前身である弘前電気鉄道が開業した1952年に併設されました。
大鰐町は800年も前から続く”いで湯の街”。
駅前の商店街を抜けて相生橋を渡れば、
旅館やホテル、客舎などが並ぶ昭和レトロな温泉街です。
”津軽の応接間”から”津軽の奥座敷”への旅はわずかに30分。
駅前の温泉施設「鰐come」で温泉に浸かった後、
再び電車で引き返したのですが、
思い出の公共交通機関に乗って旅に出るのも悪くないと思いました。
あ・・・まるで鉄っちゃんだ(笑)。
by 義人
【注意】
弘南鉄道大鰐線は、陸橋架け替え工事のため、10月23日まで石川駅~津軽大沢駅間がバスによる代行運転となっていますのでご注意ください。
掲載されている内容は取材当時の情報です。メニュー、料金、営業日など変更になっている可能性がありますので、最新の情報は店舗等に直接お問合せください。