日本のぶどう栽培の歴史は約800年。
藩政時代には年貢として認められるほどだったようですが、
本格的なぶどう栽培が始まったのは明治になってからのこと。
明治8年、外国から輸入したぶどう苗木が全国に配布されたのが始まりです。
青森県に導入されたのも同じ年。
りんご苗木と一緒に配布されたと記録されています。
ところが、日本に入ってきた品種は、
品質が良くて皮まで食べられるものの、
雨に弱くて栽培しにくいヨーロッパ種であったため、
日本中のぶどう栽培はことごとく失敗し、
青森でも「カマド消しの元」と嫌われたようです。
その後、
「フジタのブドー液」で有名な藤田農園(当時)が、
ぶどう酒製造のために大規模なぶどう園を弘前に開園したのが明治16年。
これが青森県におけるぶどう栽培の始まりと言われています。
それから三十年以上たった大正5年。
藤田農園から譲り受けた「キャンベルアーリー」の小さなぶどう畑が南部地方に開かれ、
南部地方のぶどう栽培が幕を開けました。
(↑今も南部地方で栽培されているキャンベルアーリー)
「キャンベル・アーリー」はアメリカのキャンベル氏によって育成された品種。
適度に酸味があって味わい深いため消費者のウケがよく、
また、雨に強いことや青森独自の栽培方法を確立できたため、
50年以上にわたって南部地方のぶどう栽培を支えてきました。
しかし、巨峰が登場すると消費者の嗜好は一変します。
大粒で甘みが強い巨峰に比べればキャンベルは食べにくくて酸っぱいぶどう。
消費者離れが進み、安値に苦しむ年が多くなりました。
そこで、
青森の南部地方でも栽培できる大粒品種はないかと、
南部地方ぶどう協会の会長でもあった石井ぶどう園の故石井権三さんが中心となって探し求め、
やっとのことで巡り会った品種が「ルビー・オクヤマ」なのです。
この品種にたどり着くまでに故石井会長は、
実に50種類以上の品種を試し、
なんと数億円の私財を投入したのだそうです。
このぶどうはヨーロッパ系白ぶどう「イタリア」から生まれた赤いぶどうです。
イタリアというぶどうは、
イタリアの有名な育種家ピローバノ氏が作出した最も優秀な品種で、
政府が栽培を奨励するために国名をつけるほど力を入れた高級種。
日系ブラジル人奥山孝太郎氏のぶどう園で、
紅色に染まった枝変わりが発見され、
「ルビー・オクヤマ」と命名されました。
(↑ルビーオクヤマ(手前)とイタリア。石井ぶどう園ではセットでお取り寄せできます。)
イタリア種の血を引くだけあって、
大きくて美しく、適度な甘味とマスカットの強い芳香がたまりません。
ひと粒食べれば、
口いっぱいに広がる深みのある甘味と、
ぷりっとしたおいしい食感を楽しむことができます。
最も優れた高級品種のひとつ「ルビー・オクヤマ」が店頭に並ぶのはもうすぐです。
決して新しい品種ではありませんが高級果物店でも注目のこの品種。
スーパーや直売所で見かけた日にゃ~、もちろん買いですよ!(笑)
今、南部地方には「サニールージュ」という品種の導入が進んでいますが、この話しはいずれまた(笑)。
by 義人
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