カキは東アジア原産の果物。
日本国内では北海道と沖縄を除く各地に分布し、古くから栽培されてきました。
元来は渋ガキしかなかったようですが、鎌倉時代に入って甘ガキが誕生すると両者が区別されるようになり、江戸時代にはかなりの品種ができあがったといいます。
青森県南部地方で昔から栽培されていたのは「南部ガキ」と呼ばれる「妙丹ガキ」。
長宝珠形をした小形の渋ガキで、干ガキ用として今なお根強い人気を保っています。
妙丹柿がいつ頃導入されたのか定かではありません。
でも、1948年に発行された『果樹園芸学上巻(菊池秋雄著)』のなかに、「三戸郡の妙丹は200年前後の老木は少なくない」と記述されているところから、かれこれ250年以上前から栽培されていることは間違いありません。一説では、当時の南部藩主が、参勤交代の折、福島から大根に挿して持ち帰ったいくつかの枝のひとつが妙丹柿の先祖だと伝えられているようです。
南部地方の妙丹柿は、ほとんどが放任栽培で無剪定のため、高さ十数メートルとなる樹も少なくありません。このため、六間を超える長い専用梯子が必要になります。また、枝が折れやすく収穫には危険が伴うことから、この地方には収穫を請け負う専門家までいたようです。
美しいその実は、小粒ながら味が濃厚で、決して他品種に劣るものではありません。
他の柿と同様、生食及び干ガキとして利用されますが、その持ち味は何といっても干ガキにあります。
糖の含有量が多いことや果肉が粘質であること、繊維や種子が少ないこと、なめらかな果形であることなど、どれをとっても干ガキに適しているのです。
妙丹柿は、地元市場などを通じて主に北海道や東京方面に出荷されており、なかには主産地和歌山に送る生産者までいます。
甘味料が乏しかったその昔は、北海道の業者が直接買付けに来るなど産地は活況を呈したようで、妙丹柿の干ガキも大正時代頃からすでに商品化されていました。
干ガキにはその地方特有の加工方法があります。
この地方では、干ガキ専用の竹串に刺して干すのが昔からの方法です。
皮をむいた柿を一尺八寸(約55㎝)の竹串に横から10個刺し、それを10列スダレのようにつなげ、本格的に寒くなる12月になってから、日の当たるところで雨を除け1ヶ月以上自然乾燥させます。
晩秋の陽光に輝く無数の妙丹柿。
薪ストーブの煙がたなびく小さな集落で寒風に揺られる橙色のカーテン。
今年も美しい季節がやってきました。
by 義人
※干し柿の写真2点は昨年撮影した写真です。
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