【第2話 そして弘前へ・・・】
五所川原の地下のお店が誕生して2年後の昭和46年、今度は弘前店のほうにこの味噌ラーメンを持っていこう、ということになります。
中三弘前店直営の食堂をこの会社が運営することになったのがきっかけでした。
五所川原店で腕をふるっていた一戸さんもこの弘前店が立ち上がるタイミングで技術指導に行きます。
しかし、ここでも繁盛している五所川原店のよううまくはいきませんでした。
その理由は、五所川原市民と弘前市民の「味覚の違い」でした。
同じ津軽という土地に暮らしていながら、と思われるところですが、やはり違っているようで、刺激の少ないまあるい味の好きな五所川原市民が好んだのは「白味噌の品の良さ」でした。
しかし弘前市民が求めていたのは、真逆の「バチン!」と来る味。
この「バチン!」と来る味を目指し、弘前では五所川原のレシピを改良していきます。
白味噌だった味のベースを赤味噌に、
鶏ひき肉のあっさりしたうまみを合びき肉でガツンと出し、
味を引き締めていたコショーすらも白コショーからと白と黒コショーに、
とまさに現在の中みその味へと大きく変えていきます。
するとどうでしょう。
お客様の反応は極めて高く、当時近隣にあった東奥義塾高校や聖愛高校の生徒達が次々とやってきては食べてくれる。
この「バチン!」とくる味を大いに気に入ってくれるようになっていきます。
まさに、ここがこの会社がレシピの改良に自信を持った瞬間でした。
しっかりした赤味噌のボディの中にひとつに溶け込む野菜と肉のうまみ。
自然な甘さとバチンとくるみそ味のコントラスト。
細い麺にはその生姜とにんにくとスープが絡み、たっぷりの野菜と生姜は身体をホカホカに
させてくれる。
この味を求め、弘前市の市民は行列を作りました。
当時は、中三に入ってすぐの左の階段を下りて地下をまっすぐ奥に進み、酒屋さんなどを過ぎた先にありました。
↑写真 現在の中三弘前店地下のフードコート
その後、地下への階段を下りてちょうど入口部分の真下にあたる部分に移動しますが、その移動はほぼ倍の規模と、大きく拡張しますが、それでも行列は止まりません。
最初の店舗自体でも五所川原よりも客席があったのですが、昼は1時を過ぎてもまだ行列を作るまさにデパ地下行列店になっていきます。
そして、この味はまさに弘前の味噌ラーメンの原点ともいうべき味となっていきます。
こうして五所川原店と弘前店に独自に進化をさせた味噌ラーメンが生まれ、
しかも両店共に繁盛店となります。
・・・・が、そんな時期も数年。
五所川原店にあったみそラーメンのルーツ店が昭和54年に閉店となります。
続きはまた。 byなおき
〔バックナンバー〕
第1話 「中みそ」 津軽人が愛したみそラーメンの歴史<1>
〔続き〕
第3話 「中みそ」 津軽人が愛したみそラーメンの歴史<3>
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