【第3話 中みそを作り続けて三十余年】
五所川原と弘前の両店が賑わいを見せ、中みその味に行列ができる。
・・・・ですが、そんな時期も数年。
五所川原のみそラーメンテナントが昭和54年に閉店となります。
そしてここにコーヒーショップが開店されると、五所川原市民がこよなく愛した味噌ラーメンの味がそこでいったん消えてしまいます。(その後青森店にも出店・閉店があります。)
一方、中三弘前店の地下のみそラーメンはその後も弘前市民を虜にしつづけ、地下店舗の中を移動しながら、客席を増やし、95年の弘前店の新築で、地下のフードコートの中心となり、130席の店舗内客席と40席の通路付近客席を持つに至ります。
それでも昼には満席となるほどのパワーを秘めた、今や市民のソウルフードといっても過言でない「みそラーメン」。
親子3代に渡ってファンを持つ逸品となっています。
須藤イエさんは、中三弘前店でみそラーメンを出してから2年後の昭和48年からこの仕事に携わります。
30年間作り続けている須藤さん。
今でもリーダーとしてその中心にいます。
ずっと中みその真ん中にいた、言わば「中みその母」。
← 写真 中みその「母」 須藤さん
中三地下のみそラーメンは、中華鍋に高熱の火をかけ、肉や野菜などを炒め、スープを投入し、みそを溶き、味付けを行い、野菜を入れてスープを作ります。
別鍋でバリ堅に茹でた中細麺をどんぶりに上げ、その上から中華鍋のスープと野菜を投入し、完成させます。
↑写真 手づくりだからこそ、丼一つひとつにも「個性」と「顔」が生まれます。
一つの中華鍋でできるのは僅か8人分。
この中華鍋を2つ使い、交互に作っていきます。
須藤さんはたくさんのファンがお昼にいっぺんにやってくるので、とにかく早く出すことに力を注いでいます。
伝票が20枚以上並ぶこともしばしばあるのに、中華鍋は2つ。
しかしそれ以上の鍋があっても一人では作られないのだとか。
特にお盆や正月、ねぷたなどの期間にはふるさとのこのソウルフード「中みそ」を一度は食べて帰りたい、と懐かしんで、普段の倍以上の人がやってきます。
たった8人分しかできないあの中華鍋で最大で一日900食を作ったこともある、というから驚きです。
30年作り続ける須藤さん。
その間にはいろいろなことがありましたが、中でも今から6年ほど前、お昼の時間帯が終わりホッとしていると、デパートのお花屋さんが花束を持ってきたのだそうです。
花屋さんは、お客様にこれを須藤さんに渡して欲しい、というお願いをされたようで、花束の中にはメッセージがありました。
「美味しくいただきました。とても元気がつきました。」
こうした感謝の言葉をかけてくれるお客様に、須藤さんはとても感激したのだそうです。
一方昭和54年に店を閉めた五所川原。
しかし市民があの味を忘れたわけではありません。
↑ 写真 あの味を受け継ぐ五所川原のみそラーメン
左 グリルストウ 五所川原市広田字榊森47-3 0173-35-8832
右 居酒屋 儀 五所川原市本町27-1 0173-39-2230
当時からレシピを従業員に平等に公開していたこともあり、そのレシピをモチーフに今でも五所川原の「中みそ」を彷彿させるラーメンを作っているところがあります。
五所川原でもみそラーメンの原点はデパ地下のあの味なのです。 (完)
byなおき
〔バックナンバー〕
第1話 「中みそ」 津軽人が愛したみそラーメンの歴史<1>
第2話 「中みそ」 津軽人が愛したみそラーメンの歴史<2>
掲載されている内容は取材当時の情報です。メニュー、料金、営業日など変更になっている可能性がありますので、最新の情報は店舗等に直接お問合せください。