南部姫毬というものをご存じでしょうか。
「毬」は平安朝の頃より人々に親しまれてきた日本古来の玩具。
大きく手毬(てまり)と蹴鞠(けまり)の二種類に分けられます。
「蹴鞠」は二枚の鹿の皮を縫い合わせて作る毬で、
主に貴族の遊びや神事に用いられました。
もう一つの毬、手毬は、
各地に残っている手毬唄にも歌われるように、
子供達の大切な玩具でした。
手毬は当初、芯に糸をまいただけの単純な物でしたが、
やがて、芯に綿やもみ殻、そば殻等を用いて弾性を高めるようになり、
さらに、表面に美しい糸で幾何学的な模様をつけるようになったとか。
ある書によれば、手毬が装飾用として発達しているのは日本だけなのだそうです。
その美しい手毬のひとつが「南部姫毬」。
色鮮やかな模様と愛らしい房かざりが特徴の南部姫毬は、
遠く平安時代の手法を今に伝える伝統的な手毬として、
全国的にも大変高く評価されているようです。
手毬はもともと公家の玩具でした。
時代の変遷とともに武家でも用いられるようになり、
やがて商人にも広まって、江戸時代の初め頃には一般家庭でもつくられるようになったといいます。
ところが、明治時代に丈夫でよく弾むゴムボールが海外から入ってきて、全国の手毬は急速に廃れていきました。南部姫毬も例外ではなく、一時は姿を消しかけたのだそうです。
しかし、昭和30年頃、手毬の良さが見直されるという全国的な機運の中、
ひとりの男性が南部姫毬の研究に力を注ぎ、
それをきっかけとして南部姫毬が再び注目されるようになりました。
松川利信(昭和九年生)氏がその人。
母より受け継いだ毬の模様と構造を丹念に調べあげ、
さらに模様の研究を続けて、現在の南部姫毬の基礎を再構築したのです。
南部姫毬の基本となる模様は約20種類。
配色や房飾りの組み合わせによって数百種類に及ぶというから驚きですね。
南部姫毬は、邪気を払い、福寿開運を求める人々の身代わりとなって色あせる御守り。
五節句の幸せを祈願して掲げられるのが倣いだといいます。
そういえば、私が生まれ育った古い家の神棚には、
すっかり色あせた毬が吊されていたことを覚えています。
きっと、子供らの幸せを願った誰かが飾ってくれたのでしょう。
その頃は考えもしなかった家族の愛情が今さらながら滲みてきます。
(↑色あせた姫毬。家族を見守りつづけたのでしょうね。)
この南部姫毬は八戸駅前のユートリーでも販売中。
大切な人への贈り物に良いかもしれませんね。
by義人
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