魚食だけではありません! 魚卵も大好きなんです。
日本海・太平洋・津軽海峡・陸奥湾と四方を海に囲まれた青森県はまさに魚食の国。
生鮮魚介類の購入金額・購入量共に全国第一位が青森市。
(総務省統計局家計調査平成16~18年平均)
そんな青森県の中でも特に津軽地方は、魚卵好き。
朝ご飯からすじこ・たらこといった魚卵をたっぷりお茶碗に乗せ、いただいています。
また食べている魚卵も種類が豊富。
すじこ・たらこはもとより、子持ちはたはた、子持ちチカ、子持ちカレイ。
しゃこ(ガサエビ)だって子持ち。
さらには、ほたての子、うに、マダラの子、白子類、数の子、数の子を調理したさまざまな醤油漬類。食べている種類だけでなく、量もたくさん。
その中でも、本日のご紹介は、「数の子昆布醤油漬」。
ツルツルと粘り気のある昆布をしょうゆ味にして、そこに数の子がたっぷり入れたもので、温かいご飯に乗せていただくと、ご飯が何杯でも食べられちゃうほどの「ご飯の友」。
この数の子が15センチもあるような形のいいものが入ったものや、キレのものが入ったもの、スルメ、大根漬け、山菜が入ったものなど、魚卵の横綱「数の子」といろいろな組み合わせでさまざまな種類のものがあるのも特徴です。
海岸線の長さの圧倒的な違いもあって国内産昆布の産出量は北海道がダントツですが、青森県も良質な昆布が産出されている「産地」です。
本県で採れる昆布は津軽海峡が育む「真昆布」。
特に海峡に面した大間などでは良質の真昆布が産出されています。
今よりも戦前はもっと海が豊かで昆布も大量に獲れていたといいます。
真昆布は品のいいうま味の深いダシが取れ、しかもヌメりが少ないことから、古くから上方で特に高値で取引されていました。
海産物は総じて「真」とか「本」がつくほどにその品種は珍重されているようです。
その理由は、上方の方々はこの「ヌメり」が嫌いだったから。
このため真昆布は移出品、つまり換金商品として生産・出荷され、産地は別として産地から離れた津軽の一般の家庭では、この高額な真昆布をおダシで使うということはせず(加工の際のキレ端である「根こんぶ」は使っていたようです)、陸奥湾で取れるイワシを焼いて干した「焼き干し」を使っていたようです。
ですが昆布は手に入りました。
もちろん真昆布ではありませんが、真昆布と同じ海域で育つ「ガゴメ昆布」や「あらめ昆布」などのネバネバがたっぷりと出る昆布は、ヌメりを嫌う上方では欲しがらなかったため、津軽でもとても安く手に入ったのだそうです。
このネバネバの昆布を細かく叩き、しょうゆで溶き、ネバネバ昆布の醤油漬けにして熱いご飯にぶっかけて食べていました。
忙しい農村の家々では重労働に必要なエネルギーを取るためにこうして簡単にしかも美味しく、そして手早くごはんをいただいていたのだそうです。
一方、大正時代、津軽の農村からもたくさんの人たちが北海道の春のニシン場に職を求めて出稼ぎに行きました。いわゆる「ヤン衆」です。
ニシンは、雄なら開いて身欠きニシン、糠ニシンなどさまざまな加工を施し、メスなら数の子を取り出して塩蔵していましたが、大漁が続くとその膨大な漁獲の中、生き腐れの激しいニシンは全て畑の肥料である魚肥となっていました。
これほどの量が取れるニシンでしたから、塩蔵数の子も安く、ヤン衆帰りの津軽の人が伝え、もともと海産物が好きな津軽の人たちの暮らしに溶け込み、やがて津軽の味になりました。
元々北海道アイヌの家々ではネバネバのものを食べていたようで、ネバネバが出る昆布を叩いてネバネバさせて食べていた。それを持ち帰って津軽でも食べたのだ、と話してくださる方もいらっしゃいます。
こうして数の子とネバネバの昆布が津軽で出会い生まれたのが、この数の子昆布醤油漬です。
各家庭では作られていたようですが、商品化されたのは、冷蔵品流通が機能する戦後になってから。
いまではいろいろな地元の食品会社で作られていて、どれもお店特有の味付けと材料が工夫されています。
お好みの品を探してみてくださいね♪
今回は数の子昆布醤油漬の主要材料となる魚卵の横綱「数の子」と昆布との出会いを少し掘り下げてみましたが、魚卵王国あおもりの話はまだまだ奥が深いようです。
この続きはまた別の機会に。
byなおき
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