ちょっとドライブがてら五所川原方面へ。
すると岩木川の河川敷に何やら巨大な龍が・・・。
立ち寄ったお店に張られていたポスターを見ると、
今日は「奥津軽虫と火まつり」の日ではないですか!!
ということで、日が暮れるまで、つがる市のベンセ湿原を散策したり、
温泉に入ったりして過ごし・・・。
交通規制も始まった6時頃に、五所川原へ戻りイベント会場へ。
すると、グットタイミングに、町の方から河川敷に向かって来た
「虫」の山車、虫行列、白装束で御神火を運び歩く若者、お山参詣のお囃子!!


最初はチラホラだった人も、日が暮れ出すと少しづつ増し、出店も繁盛し、
河川敷のコンクリートの階段は満席状態に。
真夏のような日中の陽射しが嘘のように、徐々にブルブルと震えるほど寒くなり・・・。
湯冷めしてしまう~~という状況の下、せっかく来たんだし・・・と、
じっくりイベントを見守ることに。
さて、この虫送りですが、津軽西北地方の各地に残る
稲を病害虫から守ることを目的に伝わる慣習です。
その起源は今から250年ほど前の元禄時代。
この地方に「イナゴ」の大群が押し寄せて稲作が全滅したところから
その対策に頭を悩ませた末、大きな木彫りの竜型の頭に稲わらで編んだ胴体の虫を作り、
村中の若者たちがこれをかついで賑やかな囃子とともに村中を練り歩き、
五穀豊穣と病害虫、悪疫の退散を祈願したものと伝えられています。
虫送りの「虫」は龍蛇体状の物で頭は主に木造り、胴は藁で造られ、
大きい物では10メートル、小さいものは1メートルぐらいです。

それを、五所川原市の祭りとして行うようになったきっかけは、
会場アナウンスによると・・・
昭和39年8月4日、津軽華子様がご成婚のご報告のため、
種里八幡宮と遠祖大浦光信公のご霊屋にお参りをされたあと、
五所川原市にお立ち寄りになったとき、西北五地区の「虫」を岩木川原に集めて、
慶祝の意を込めてご覧に入れたのがきっかけ・・・なんだそうです。
その夏の虫送りは、平成10年頃から日を改め、6月第4日曜日に開催され続けています。
形や色は変化しているようですが、胴体が1メートルもある大きなものや、
口から火を噴くものなど、観る人を楽しませてくれました。
火まつりは、五所川原青年会議所により昭和48年から新たに企画された祭りで、
御神火にてその身体を清め、豊饒の守り神をまつる儀式を古式に則り、風雅に行うもの。
白装束・鳥帽子・わらじをまとった若者が御神火を運び歩いた後、虫送り同様、
岩木川河川敷に集まり、神楽や荒馬などが行われます。


「天下泰平、ヤッサー」、「国家安泰、ヤッサー」、
「五穀豊穣、ヤッサー」、「悪疫退散、ヤッサー」と
力強い独特の掛け声が唱えられると、
いよいよイベントというより伝統行事というような雰囲気が増してきます。
神官による神事の最中はアナウンスも控え、
観客にも私語を慎むよう促されます。
神事の後、一般の人も1メートルくらいの虫を
御神火に投げ入れるお祓いに参加することもできます。


その後、いよいよ高さ20メートルもの巨大な虫が御神火によって昇天。
寒さをこらえてこの瞬間まで待ってて良かったと思えるほど
ダイナミックに口から火を噴き、昇天する龍のような虫。
昇天すると観客から「待ってました」とばかりに歓声が上がり!!

最後には三々七拍子で、無事、今年の豊年満作が祈願されました。
神事も行う伝統行事なので、賑やかなお祭りとは一風違いますが、
ある程度、観客を退屈させないよう荒馬やお囃子などのステージを次々と見せながら、
8時40分頃まで行われた長いイベント「奥津軽虫と火まつり」。
ダイナミックな昇天は、寒さを吹っ飛ばすほど、見ごたえがありました。

偶然にしては、凄い祭りに遭遇し、ラッキーでした。
by Kuu