今日は太宰治のお誕生日ということで太宰誕生の場所のご紹介。
明治40年に建てられた旧津島家住宅は、戦後になって旅館「斜陽館」として、現在は太宰治記念館「斜陽館」として太宰ファンには超お馴染みのスポット♪
私が伺った日も平日だというのに、観光客が次々と訪れていて、私もタイミング良く団体客の方とご一緒させていただいて館長さんの解説を聞きながら見学。
大工の神様堀江佐吉の四男・斎藤伊三郎により建てられた和洋折衷のその建築は、1F11室278坪、2F8室116坪、付属建物や庭園などを合わせて宅地約680坪の豪邸。
その豪華さは、3種類の欄間と襖絵、大きな仏壇がある座敷の襖を取り外せばドドーンと63畳の大広間になったり、
寄せ木の天井であったり、アオダモの床であったり、
シャンデリアであったり・・・と、各所で見てとれます。
2Fのお部屋の金の襖には「斜陽」の文字も・・・(右の襖の最後の二文字)
そして、太宰が津島修治として産声を上げた部屋はコチラ。
明治42年6月19日、叔母の部屋で誕生しました。
100年前の今日、ココで産まれたんですね。
当時、赤ちゃんだったかわいらしい太宰を想像しながらも、なぜか小説『二十世紀旗手』の副題「生まれて、すみません」というフレーズが浮かんできてしまいます。
インパクトのあるフレーズですもんね~!
どんだけかというと、ちなんだ煎餅があるくらい(笑)。
さて、館内の解説板によりますと太宰は随筆の中で、
「私の生まれた日は明治42年の6月19日である。私は子供の頃、妙にひがんで、自分を父母のほんたうの子ではないと思いこんでゐたことがあった。(略)家に出入りしてゐる人たちに、こっそり聞いて廻ったこともある。その人たちは大いに笑った。私がこの家で生まれたことを、ちゃんと皆がしってゐるのである。夕暮れでした。あの、小間で産まれたのでした。ひどく安産でした・・・」とあります。
太宰はここで暮らしたこともあるそうで、まさに太宰の原点となる場所なんです。
そして太宰が一番好きだったといわれている場所は、コチラ。
床下は収納スペースになっている長いヒバの床の通路。
当時、父や兄しか入ることを許されていない部屋もあったこの大きな家の中で、誰でも出入りできるこの場所が好きだったんですって。
太宰治の人柄が見え隠れするエピソードですね。
青森県内の書店では、ブックフェアも開催されていて、街中が、「生まれて、ありがとう」というムードで盛り上がってます♪
画像は、紀伊國屋弘前店のウインドディスプレイです。
by Kuu
《太宰治記念館「斜陽館」》
五所川原市金木町朝日山412-1
0173-53-2020
5月~10月8:30~18:00 (最終入館17:30)
11月~4月9:00~17:00 (最終入館16:30)
入館料 一般500円、高大300円、小中200円
掲載されている内容は取材当時の情報です。メニュー、料金、営業日など変更になっている可能性がありますので、最新の情報は店舗等に直接お問合せください。