昨年は太宰治生誕100年ということで、県内も盛り上がり、劇場でも太宰作品がバンバン上映されていましたよね。
そして今年は、ひっそりと・・・ではなく、まだまだ熱いんですよ、太宰!!
6月19日には太宰治検定が開催されたり、太宰治生誕祭が芦野公園内で開催されたり、『生誕101年記念トーク&朗読会 太宰治・母なる津軽~メロスと故郷~in 太宰治疎開の家』が開催されたり♪
朗読会では、ギリシアを舞台にした「走れメロス」を津軽弁に翻訳した「走っけろメロス」、そして疎開の家を舞台に書かれた「故郷」の朗読が行われます。
写真のソファですが、「故郷」の中で「私は母の病室には帰らず、洋室のソファに黙って寝ていた。」と書かれているソファ♪
こちらの故郷の家で、想像力を膨らませながら朗読「故郷」を聴く・・・♪
きっと、ここでしか、ここだからこそのものが伝わってくること間違いなし!!
朗読会は、まだお席に余裕があるようです!!
詳しくはコチラ♪
そして、実は昨年のうちに密かに「三鷹」も訪れておりましたので、ちょっとだけ足跡をご紹介しま~す♪
昭和14年、30歳のときに、妻と共に三鷹へと移り住んだ太宰。
太宰はこの地で「走れメロス」、「斜陽」、「人間失格」など後に有名となる作品群を書き残しています。
三鷹駅に到着して最初に向かったのは「みたか都市観光協会」。
ここで太宰マップを購入!!
マップを手がかりに、そのすぐそばにある小料理屋「千草」跡へ。
昭和22年7月から2階を仕事部屋として使っていたお店があった場所。
太宰マップの説明を見ますと、「仕事場というより、友人、弟子、編集者との酒飲みの部屋であった」と。イメージに合いますね。
そして仕事のあとの一杯を毎日欠かさずしていた太宰。
ということで太宰家が出入りしていた伊勢元酒店の跡地に開設されている太宰治文学サロン。
中には銀座のバー『ルパン』を再現したカウンター。
酒と太宰。ぴったりの組み合わせです。
太宰治・亀井勝一郎の本のレリーフを見つつ、
禅林寺でお墓参り。
今年も桜桃忌には墓前がサクランボでいっぱいになるんでしょうね。
そして、次のポイントに向かう途中に見つけたのが「旧中鉢家跡」。
戦後、津軽から見たかに戻った太宰が、自宅が手狭な上に、日々の来客が多くなり、執筆に専念するために、数箇所の仕事部屋を借りていました。
ここは昼の間だけ仕事部屋として借りていた場所。
黒い風呂敷包に原稿用紙、辞書、お弁当を包んで通っていたそうです。
そしてここには「斜陽」のモデルといわれる太田静子さんが出入りしていたそうです。
また、ここで書いた作品としては「メリイクリスマス」や「ヴィヨンの妻」があります。
そして一番行きたかった場所「陸橋」に到着。
お見せはしませんが、太宰と同じポーズでも撮りましたよ♪
太宰はここから故郷を想っていたのでしょうか。
そして、最後は、やはり玉川上水。
今はジャングルのような雑草の中の静かな流れですが、昔は水量も多く、流れが激しく「人喰い川」と言って恐れていたそうです。
昭和23年、6月13日、山崎富栄と共に玉川上水に入水し、この世を去った太宰。
一週間後の6月19日、早朝、遺体となって発見。生きていたら満39歳の誕生日というのも、なんだか意味があるように感じてしまいます。
その川のそばには金木産の玉鹿石が建立されていたり、「乞食学生」を刻んだレリーフがあったり、いろいろ見所満載でした。
太宰は鉄道愛好者だったのではないかといわれていて、太宰治の名で最初に書いた作品は「列車」(昭和8年)。
また、「たずねびと」(昭和21年)では、「私は妻と五歳の女の子と二歳の男の子を連れて甲府を出発し、その日のうちに上野から青森に向う急行列車に乗り込むつもりであった」とか、「人間失格」(昭和23年)では、「自分は東北の田舎に生まれましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした」とか、作品から鉄道に対する憧れのようなものを感じます。
そんな太宰さんに教えてあげたい!!
今年、新幹線が青森まで開業しますよ~~って♪
by Kuu
《生誕101年記念トーク&朗読会 太宰治・母なる津軽~メロスと故郷~in 太宰治疎開の家》
日時 2010年6月19日(土)16:50-18:50
会場 太宰治疎開の家旧津島家新座敷(主催)
五所川原市金木町朝日山317-9
会費 1000円 休憩にお茶・お菓子付
定員 30名 定員になり次第締切り
申込 太宰治疎開の家『太宰屋』お問い合わせページから
電話/fax 0173-52-3063
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