「青森の街の成り立ちを知らない中学生・高校生諸君!」。・・・あ、はい、私です(一応成人ですが・・・)。
青森県立郷土館が開催した「第2回あおもり街かど探偵団」。このイベントは、昭和の香りを残す建物を探検して街の成り立ちを知ろう! というもので、今年で2度目の開催です。
参加者には、ほかでは手に入らない貴重なバッチが・・って、「ブラアオモリ」? どこかで聞いた名称ですね。まぁ気にしない、気にしない。
この日は、「かつての中心街を歩く」ということで、県立郷土館がある「大町通り」と1本南の「米町通り」を主に探索するコース。街歩きの前に、郷土館内で青森市に関する簡単なレクチャーを受けましたが、戦前の昭和15年には、東北で第2位、全国でも25番目の人口を誇っていた、という話だけでもちょっと驚きでした。
さて、街歩きの出発地点でもある県立郷土館の大ホールは、昭和6年に竣工した旧五十九銀行青森支店の建物で、国の文化財にもなっている建物。
弘前市の五十九銀行本店や金木の斜陽館を手がけた堀江佐吉さんの七男、堀江幸治さんの設計です。階段柱の石材や手摺り下の透かし窓のデザイン(五十九銀行ということで、5と9の数字が・・・)など、私も何回かこの建物に来ていますが、「言われてみれば・・・、なるほどねぇ~」と、驚かされます。
郷土館をでて大町通りを東(駅とは反対の方向)に進むと、武内製飴所(たけうちせいいじょ)があります。何と、創業1858年(江戸時代)!
150年以上の歴史があるこのお店では、津軽飴とりんごゼリーをいただきました。特にこの津軽飴、昔ながらの製法で作っているこだわりの一品で、知っている人も多いのではないでしょうか?
ありがたくお土産をいただき、再び東へ向かうと、今度はかまぼこ店。
高橋かまぼこ店は、創業明治36年の青森で一番古いかまぼこ屋さんで、ここでは、かまぼこの試食もさせていただきました。(え?「食べ歩き」ではないかって? いえいえ、「街歩き」ですよ。)
解説していただいた郷土館(元教員)の方は、卒業式で紅白のかまぼこが出されるのが楽しみだったそうです。・・・昔からの味が続いているんでしょうね。
さらに東に進み、見えてきたモルトン迎賓館。
「昔ここは映画館で、私もよく見に来ていたんです。寺山修司さんもよく来ていたんですよ。」との参加者の声も聞くことができました。この方には昔の様子が目に浮かんでいるのかもしれません。・・・人の歴史も残っているのですね。
街歩きは、1本南の米町通りに入り、今度は西へ向かいます。
交差点の角にある孔雀苑。
実は、旧日本勧業銀行でした。道路拡張工事のため、建物の半分が削られたそうです。かつては、写真で参加者がいる場所あたりにも建物があったそうです。
孔雀苑の方によると「分厚いコンクリートの壁などがあって、非常に使いづらい建物。しかし、歴史的な建物なので、残していきたい。」と語ってくれました。
これは、孔雀苑と同じブロックにあった煉瓦積の壁だったと思います。手前の方ですが、黒く焼け焦げています。戦災のあとかな? 参加者は、この壁以上に、隣の建物の2階の扉が気になっていたようです。・・・落ちますよね。
ところでこの米町通り、真っ直ぐではないんです。だからどうした?と言われそうですが、大町通りは左右の端から端まで見える、というくらい真っ直ぐだったので・・・。この米町通り、昔の奥州街道で、地形に沿って道が設置された、ということです。地図で見ても、この米町通りだけがクネクネ曲がっているのですよね~。いやいや、歴史を知るのはおもしろい。
そして、その奥州街道の終着点が、ここ、善知鳥神社。
青森市発祥の地、とは聞いていましたが、奥州街道の終点となっていたことまでは知りませんでした。
よくよくみると、神社の前には、
奥州街道終点の碑もあるし、青森市発祥の由縁でもある道路元標も・・・。神社に初詣に来たこともあるし、宵宮にも来たこともあったのに、このような碑はまったく目に入りませんでした。
街歩きを行ったこの日、8月末だというのにまだまだ暑い日でした。しかし、参加者の方も私も非常に楽しく、満足な街歩きだったと思います。
ここで紹介したのは、今回の街歩きで立ち寄った場所の一部ですが、ゆっくり街を見て歩くと、もっともっと色々な発見ができると思います。みなさんも、自分の街をゆっくり歩いてみてはいかがでしょうか?(もうちょっと涼しくなってからがいいかも・・・)
by ハッピーハンド
掲載されている内容は取材当時の情報です。メニュー、料金、営業日など変更になっている可能性がありますので、最新の情報は店舗等に直接お問合せください。