来年は弘前城築城400年。
もちろん、観光的にも一つのトピックですが、地元の人間としては、津軽の歴史をもう一回勉強してみるのにも、いい機会なのかもしれません。
そういえば、以前新聞で「津軽稲荷神社」というものが東京にある、という記事を見たっけなぁ…と、今回は江戸に残る津軽家の足跡を尋ねてみることにしてみました。
秋らしくなって、お散歩にもいい時期ですしね。
津軽稲荷神社は、津軽家の江戸屋敷(下屋敷)の跡にあります。昔の地名でいうと本所界隈。錦糸町の駅から西側に向かったところです。
駅を出て歩き始めるとと、すぐに見えるのが
おお、スカイツリー。すげぇなあ、よくあんなでっかいもん作るよなぁ…なんて横目で見ながら5分弱くらいですかね、歩いたところにありました、「津軽稲荷神社」。
建物に囲まれてひっそりとたたずんでいる、という風情です。
案内を見ると、「津軽四郎為信十万石の下屋敷にあった」「一万坪は明治43年に払い下げられ、昭和7年の町名変更で錦糸一丁目町会の守護神となった」「町民の信仰厚く昭和35年(焼失した)拝殿及社務所会館再建」などの記述がされています。
青森を遠く離れた地で、津軽の名前の付いた場所が今でも大切にされているというのは、なんともありがたいことですねぇ。でも一万坪か…広い…
ところで、稲荷神社だから狛犬ではなく狐、というのは分かるけど、彼は一体足下に何を押さえているのでしょうね。なんだかそれも狐のように見えるのですが…これってどゆこと?
…うーん、まいっか。津軽の一の宮である岩木山神社にもちょっと変わった狛犬がいるし、こういうのも津軽スタイルと勝手に解釈しておきましょう(いいのかそれで…?)。
また、本所界隈には、「本所七不思議」という、江戸時代から伝承される民話が残っているのですが、その一つに「津軽の太鼓」とうお話があります。
通常、大名家の火の見櫓では版木を打つのに、津軽家だけは太鼓を打つことができた。なぜ津軽家だけが太鼓を打つことを許されていたのか、その理由は誰も知らない…というような内容です。
正直、他の6つのお話に比べるとあまり不思議感はありませんけど…きっと津軽の殿様が皆に愛されていたことの証明なのですよ。たぶん。(←なんか今回はいい加減)
というわけで、そのお殿様が住んでいた上屋敷の跡も訪ねてみましょう。津軽稲荷神社からさらに西へ10分少々。近いです。
その場所は現在、墨田区緑町公園となっている付近。敷地はおよそ8千坪。
残念ながら、津軽家の歴史を偲ばせるものはぱっと見、残っていませんが、この1月から3月に、墨田区が上屋敷跡を調査し、石組みの下水遺構などが見つかっています。
隣の街区にある、相撲の神様を祀った野見宿禰神社もその一角だったそうですが、青森がかつて相撲王国として名を馳せたのは、そんなご縁の御利益があった…のかも。では、信心、信心…と思ってお参りしようとしましたが…入り口分からず_| ̄|○
そのほか、戻ってから調べてみると、「本所には過ぎたるものが二つあり。津軽大名、炭屋塩原」 とうたわれて、それが落語に使われていたり、一幽斎重宣(二代目広重)の画に津軽家の上屋敷が描かれていたり、ということもあるようです。
この調子なら、地元にもまだまだ知らない楽しいネタがありそう…と思えた小さな調査隊(一人だけど)の成果でした。
皆さんもどうですか、この秋、これまで気になってたことを調べてみては。思った以上に、面白いものが見つかるかもしれませんよ。
by くどぱん!
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