大震災発生から10日余りが過ぎました。みなさま、温かいコメントありがとうございました。
徐々にですが、復興に向けた明るい話題が出てきています。今日まで、全面再開とはいきませんが、県内の鉄道などの交通機関は運転を始めており、そして本日、ついに東北新幹線が新青森・盛岡間の運転を再開するにまでいたりました。
また、津波の被害うけた八戸港でも漁業が再開しました。市場に威勢のいい競りのかけ声が戻ってきたのです。漁港付近でお店が再開したという大変うれしい情報もあります!!(詳しくは、+α的ブログさんをご覧ください。)
このブログも、少しでも青森県を、そして青森県から全国を元気にできるよう精一杯がんばります。まるごと青森blog、再スタートの記事は、青森ふるさとベーカリーです。
むつ市の田名部神社付近には、ある神話が残っています。
映画館に行く前には、神社近くのパン屋さんに立ち寄り、「あのパン」を買って食べるというのがステイタスで、そのお店の前から何と200mもの行列ができた・・・という神話です。
「あのパン」・・・。そうです。下北といえばこのパン、「アンバター」を求め、多くの人たちが列をなしたのです。
「アンバター」は、サンドする2枚の食パンの1枚にアン、もう1枚にバターを塗って重ねるという大変シンプルなパンで、世に送り出したのは、昭和30年4月頃に開店した吉田ベーカリーさんです。
「アンバター」が誕生したのは、お店の開店から約12年後の昭和42年頃。当時、パンの耳に好きなもの塗って食べていた賄いを、たまたまお店に出入りしていた業者さんが食べ、「これはイイ!!」と一言。これがきっかけ。
評判が評判を呼んで大ブレイク!! 200mの行列神話が生まれたのです。耳にトッピングする気持ち、わかります。私も小さい頃、パンの耳をバターのカップに直接突っ込んだり、牛乳にひたしたりして食べてました。色んなものを自由にトッピングする楽しさがそこにあったのですよね(母親にはかなりしかられましたが・・・)。
「アンバター」は、注文を受けてから塗って、お客様に渡すというスタイル。これは、誕生当時から変わらないものです。パン自体のおいしさに加え、目の前で私のためにわざわざ作ってくれるというプレミアム感!! これがいいんです。
サンドするものには、ほかにもピーナッツ、きなこ、マーマレード、サラダなど、バリエーションも様々。単品でサンドする場合は130円、アンバターやチョコきなこなど、2種類でサンドする場合や大盛りは10円増しで対応、さらにお願いすれば、トーストもしてくれるというありがたさ。それこそ自分だけのオリジナルのサンドパンを作ってもらえるのがとても魅力的です。
私が何を注文するか悩んでいると、商品棚には目もくれず、真っ直ぐにレジに向かってきた方が「アンバター10個ください」と注文。びっくりする私を尻目に、別の方は「アンチョコピーください。」・・・えっ、アンチョコピー?? アンとチョコとピーナッツ。常連さんにとっては、これくらいは当たり前なんですね。
現在お店を継いでいる吉田成人さんは、東京の専門学校で洋菓子とパンを学び、都内での修行後、25歳でお店を継ぎました。創業当時のパンの製法を受け継ぎ、「アンバター」などの昔ながらのサンドパンや調理パンの味は創業当時のまま変わりません。吉田さんの代になり、焼きたてパンに力を入れつつ、積極的に企画もののパンなどにもチャレンジしていますが、「新しいものは一過性。やっぱり定番のサンドパンに戻る。」と言っています。やはり吉田ベーカリーは「アンバター」なんですね。
むつに住んでいた頃、私も吉田ベーカリーさんのお世話になっていました。一番のお気に入りはサラダ。お店手づくりのサラダは、一人暮らしを続けている私にとっては、遠く離れた実家を思い出させる優しい味です。昔からのクセで、耳をきれいに食べきったあとにお楽しみの中央部分を・・・。がっつくなかれ、中身が飛び出して○※△・・・。
(昭和42、43年頃のお店)
神話誕生の頃に行列に並んだ人が、自分の子どもを連れてお店を訪れ、「アンバター」を注文する姿がみられます。同じ時代、中学校のお昼に「アンバター」を食べていた方がお店を訪れます。そして、お店のカフェスペースで教科書を広げ、パンをほおばる現在の高校生の姿が見られます。今も昔も吉田ベーカリーの「アンバター」は、地元の人に愛され続けるふるさとベーカリーです。
by ハッピーハンド
<吉田ベーカリーの「アンバター」>
パン年齢 昭和42年頃誕生の43歳くらい
むつ市新町9-25
0175-23-0148
7:00-19:00
定休日 第2・4日曜日
掲載されている内容は取材当時の情報です。メニュー、料金、営業日など変更になっている可能性がありますので、最新の情報は店舗等に直接お問合せください。