鳥居の鬼や水虎様を求め、津軽地方の神社やお寺をめぐった私ですが、
東京に来てからも、ボチボチと神社、お寺巡りをしております。
で、今回、ご縁があって訪問したのは、このお寺。
亀戸天神近くにある長寿寺さんです。
以前このブログで、くどぱん!が津軽家の江戸屋敷を紹介しましたし、かく言う私も、まるごと青森動画の中で津軽藩邸を探したこともあります。
そして最近、全国を飛び回っている歴史好きな方から、こんな話が・・・。
「ハッピーさん、亀戸天神の近くのお寺に、弘前藩ゆかりの方のお墓があるって知ってる?」
ということで、やってきたのが長寿寺さんなんです。
亀戸には、青森交流ショップ「むつ下北」があるので、ちょくちょく足を運んでいますが、このお墓の話を聞いたのは初めてです。
両国から錦糸町、亀戸あたりには、かつて津軽家の江戸屋敷があったので、津軽にゆかりのある何かがまだまだ残っているんですね~。
亀戸天神の西側、横十間川沿いにある長寿寺さん。いただいた「長寿寺誌」によると、1469年に開創されたお寺で、現在のご住職の穐庭玄広さんは、11世とのことです。
ご住職にご案内いただき、弘前藩ゆかりのお墓について説明していただきました。
長寿寺さんにある弘前藩のお墓で、最も目に付くのがこの西舘家のもの。西舘家は、もともと一町田を姓としていた津軽氏の重臣だということです。
左側の墓碑に刻まれているのは「西舘孤清」のお名前。この孤清さん、幕末に弘前藩を勤皇方へ導いた人物で、維新後は、津軽家の家令という立場にあったスゴイ方です。
とある研究者は、現存十二天守の一つに数えられる弘前城が壊されずに残ったのも、勤皇方に導いた孤清さんの決断力のおかげとも言っています。
だとすると、弘前公園で日本一の桜を楽しめるのも、孤清さんのおかげ? ということになるのかなぁ。本当にありがたや、ありがたや・・・。
西側にある墓碑には、「本多・・・」という文字が見えます。弘前市で本多さんと言えば・・・ジョン・イングさんとともに弘前教会をつくった本多庸一さんを思い出す方も多いのでは?
この墓碑は、本多庸一さんにゆかりにある本多家の方のものなのだそうです。
ちなみに、西舘孤清さんは、本多庸一さんの弟を養子にしたとのこと。弘前にゆかりのある両家が、東京でも同じ場所で眠っているのですね。
最後に、ご住職からこんなものを見せていただきました。
昭和28年、お寺の仮本堂を建てる際に寄附をいただいた方の名簿で、その中に「佐藤尚武」という方のお名前がありました。
父、養父ともに弘前藩士で、戦前・戦中には各国の大使、戦後は参議院の議長を務めた方です。ご住職によると、この佐藤家ゆかりの墓碑もあるとのことで、このため佐藤尚武さんからも寄附があったとのことでした。
「お墓もそうですが、この名簿も、弘前とここ長寿寺がつながっている証でもあるのです。」
というご住職の言葉。とても印象的でした。
弘前公園内にも、西舘孤清さんの石碑もありますので、ぜひ探してみてください。
お江戸の津軽、色々ありますね。
by ハッピーハンド
<瑞亀山 長寿寺>
江東区亀戸3-10-2
03-3681-8897
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