江戸時代、北方交易の中心として活躍した北前船。現代でいう総合商社といったところでしょうか。
この北前船の重要な拠点となっていたのが、本州最北端に位置する青森県。有力な豪商たちは、競って青森県内の湊町に支店を置き、かなり繁栄していたようです。
当時、北前船とともに上方から入ってきた食文化や祭りは、長い月日をかけて青森の地に根付き、今では上方では忘れさられているようなモノコトが、端っこの青森に残っているという現象が。
まさに「文化的ガラパゴス県」です。
今回は、下北半島の湊町に今でも残っている「青森風の京都・奈良!?」を5つご紹介します。
まず1つ目が、下北地方のソウルフード「べごもち」。北前船によってもたらされた砂糖と伝統的な和 菓子の製法で作られたといわれていて、当時は白黒だったようでしたが、地元のお母さんたちが互いにスキ ルアップを重ねることで進化をとげ、今に至っています。
2つ目は、「けいらん」。その名のとおり、だんごの 白さと形が「鶏卵」に似ているから。餡入りの卵形の餅を椎茸と昆布の出汁のすまし汁で頂く料理で、室町時代に京都で点心として食されていたようです。
3つ目は「かわらけつめい茶粥」。「かわらけつめい」は、マメ科の1年草で、これを大きな鍋で焙煎した「けつめい茶」で作ったのが「かわらけつめい」の茶粥です。
陸奥湾に面した野辺地町も北前船の寄港地で、朝まで飲み明かした豪商の旦那衆が、二日酔いにも効果的があるとされている「かわらけつめい茶粥」を締めの一品として胃袋を癒していたようです。茶粥は奈良が有名で、冷たい茶粥を食べる習慣も残っています。
4つ目が、むつ市にある田名部神社の例大祭「田名部まつり」。京都祇園祭りの流れを汲むといわれる5台の山車が一堂に会して樽酒を酌み交わし、来年の再会を誓う「五車別れ」でクライマックスを迎えます。
最後は、漁師によって 120年以上受け継がれてきた佐井村福浦地区の「漁村歌舞伎」。明治時代に上方の歌舞伎役者であった中村菊 五郎とその妻が地元の人たちに教えたのが始まりとされていて、役者のセリフの多くは方言混じりで、演じる側と見る側 が一帯となる独特の雰囲気も、中央の歌舞伎とはひと味違う魅力があります。
この他にも、青森県内には、極めてオリジナルに近かったり、かなりカスタマイズされた「青森風の京都・奈良!?」が点在しているので、是非、上方文化探しの旅をしてみてはいかがでしょうか?
byさっちゃん
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