桃、獄きみ、毛豆にりんご。秋に旬を迎える青森食材は様々ありますが、暑くも寒くもないこの時期は、まさに「まちあるき」の旬でもあります。
そんな中、中南地域を中心に、9月1日から10月31日までの期間中、9市町村で44コースもの多彩なまちあるきツアーが開催されているのをご存じですか?その名も「津軽まちあるき博覧会2018」。
早速私も参加してきました。今回、私が参加したのは「ミステリアスな斉藤 主(さいとう つかさ)の素顔に迫る旅」in西目屋村です。
ツアーは、道の駅津軽白神からスタート。車で10kmほど西へ向かいます。道中、ガイドさんから「あれが今日目指す不識塔(ふしき の とう)です」との説明が。
実はここ、以前、津軽白神湖のダムレイクツアーで通りかかり、山の上で何の工事が?と思っていた場所でした!
(注:この時点ですでに脳内には、ブラタモリのテーマが流れています。)
この山は、弘前大学白神自然環境研究センター白神自然観察園。園内に、斉藤主が建てたお寺や塔があるのだそうです。
まず訪れたのは、広泰寺(こうたいじ)。ガイドさんから斉藤 主の生涯の説明がありました。
斉藤 主の生涯
◆万延元(1806)年生まれ。弘前で武士の家庭に生まれ、巡査、測量士、土木建築技師、味噌・醤油醸造業など多様な職歴を経験。北海道から九州まで事業を展開。
◆明治35(1902)年、凶作の惨状を目の当たりにし、西目屋村で大規模な開墾に着手。植林や暗門の滝までの通路開削などにも尽力。
◆晩年は仏門への関心を深め、米沢の上杉謙信ゆかりの広泰寺の寺格を譲り受け、明治44(1911)年、村内に広泰寺を再建。明治45(1912)年、開墾を後世に伝えるため不識塔を建立。
◆大正8(1919)年没。遺言により遺体は永久保存措置され、昭和55(1980)年の改葬まで不識塔に埋葬されていた。
なんというバイタリティ。そして本当に波乱万丈な生涯ですね。こちらが、住宅を兼ねて作られたという広泰寺です。
広泰寺の次は、山の頂上、不識塔を目指します。道中の風景はこんな感じです。
約30分ほどの道すがら、タマゴタケやトチの実、クロモジの木、ツリフネソウなど、ふだん見ることのできない貴重な植物を見ることができました。
そして不意に遊歩道が途切れ開けた場所(山頂)へ。参加者は、こんな角度で見上げてしまいます。
現在は、鉄骨の隙間からしかレンガ造りの様子を知ることができませんが、看板で、当時の姿を知ることができます。
それがこちら。当時は、見晴らしが良かったのでしょうね~。
ツアーの最後は主も見ていたかもしれない乳穂ヶ滝(におがたき)へ。毎年、氷結した滝の形状で豊凶が占われ、今年は4年ぶりの完全氷結でも話題になりましたね。
恥ずかしながら、ツアーに参加するまで斉藤 主のことを全く知りませんでしたが、その人となりやバイタリティの秘密をますます知りたくなる魅力的な人物でした。
私にとっては、初見だらけ、知識欲が大いに刺激された3時間でした。
余談ですが、ツアーに参加するともらえる特製コットンバッグが、使いやすかったので、ご紹介します。
今回の西目屋ツアーの他にも、「まち博」には気になるツアーがたくさん。その一例をご紹介します。
「まち博」のパンフレットには、”自分の住んでいる「まち」や隣近所の「まち」を知ったつもりでいませんか?アナタの知らない「まち」がまだまだあるのです!”との言葉が。
皆さんも、今が旬のまちあるきに参加して、何かを発見してみませんか?
byチビスケ
お問い合せ先 津軽まちあるき観光推進実行委員会((公社)弘前観光コンベンション協会内) | |
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場所 | ・中南津軽地域7市町村(弘前市、黒石市、平川市、西目屋村、藤崎町、大鰐町、田舎館村)内 ・板柳町、鶴田町内 |
TEL | 0172-35-3131(受付9:00~17:00/土日祝休み) |
時間 | ツアーにより異なります。 |
料金 | ツアーにより異なります。 |
Webサイト | 津軽まちあるき博覧会2018 |
その他 | 予約は、電話またはホームページで。 |
掲載されている内容は取材当時の情報です。メニュー、料金、営業日など変更になっている可能性がありますので、最新の情報は店舗等に直接お問合せください。