皆様、キリストの墓が青森県の新郷村にあるということはご存知の方も多いのではないでしょうか。
あれ、ご存知ではない?
では、ここで新郷村のキリストの墓をご存知でないという方とためにざっくりと説明させていただきます。
そもそもキリストの墓は世界に四つあるといわれています。インド・カシミール、南フランスとイギリス、そして最後に日本の青森県新郷村です。
「ゴルゴダの丘で磔刑になったはずのキリストは、実はひそかに日本に渡り、この村に住み106歳の天寿を全うしていた」と、当時戸来村(現在の新郷村)を訪れた茨城県の磯原町(現北茨城市)の皇祖皇太神宮の竹内巨麿氏らによって伝えられました。彼らは竹内古文書の説明に当時の戸来村を訪れ、そこで二つの盛り土を発見。これがイエスキリストとその弟イスキリの墓であると昭和10年ごろに発表したのです。
真の程はさておき、これが新郷村にあるその盛り土がキリストの墓と言われるキッカケになります。
また、キリストの墓があるキリストの里公園内の案内板によれば、イエスキリストは21歳の時日本に渡り12年間神学について修行を重ね、33歳の時ユダヤに帰り神の教えについて伝道を行ったが、当時のユダヤ人はこれを受け入れず、逆に捕らえて十字架に磔刑に処さんとした。しかし、イエスの弟のイスキリが身代わりとなり十字架の露と果てた。キリストは再び日本の地を踏み、戸来村に住居を定めて、106歳の長寿を以て、この地に没したと言うのです。
ちなみにですが、新郷村にはそれ以前にキリストに関する伝説はまったくなく、その当時まで盛り土はお侍さんか誰かお偉いさんの墓だと考えられていたそうです。つまり、イエスキリストの伝説が古くからあったというわけではなく、新郷村の人々にとっては何もないところに突然湧いて出たことから「湧説」とも言えるものだそうです。
しかしながら、キリスト伝説が当時のマスコミに紹介されてからすでに80年以上の月日がたっても各所で神秘・ロマンとしてこの「湧説」が取り上げられて来ました。そして、新郷村の人々は肯定も否定もせず、純粋な気持ちでそれを言い伝えて来たのです。
ちょっとばかし余談が長くなりましたね。
さて、そんなキリストの墓が存在する新郷村では毎年六月の第一日曜日にキリスト祭り慰霊祭が行われています。そして、今年で56回目を迎えました。半世紀以上続けられてきた伝統的な祭りといえるでしょう。
キリスト祭の主催者及び来賓者の挨拶が終わると、さっそくキリスト祭の神事が行われます。
まず最初はキリストの墓近くに設置された祭壇を前に神事(祝詞奏上)と玉串奉奠(たまぐしほうてん)が行われます。もちろん神聖な儀式のため脱帽の上行われます。
つぎに行われるのはこの地域に古くから伝わる田中獅子舞による奉納舞、そして同じくこの地域に古くから伝わるナニャドヤラの奉納舞が行われます。
このナニャドヤラ、青森県南部に伝わる盆踊りなのですが、難解な歌詞がなにを意味するのか諸説あります。そして、その一説の中にキリストの墓に関する説があり、難解な歌詞はヘブライ語で読むと民族の進軍歌になるというのです。ミステリアスですね。
ちなみにキリスト祭終了後には隣接する神秘やロマンだけではなく村の風土や文化を伝えるキリストの里伝承館の前で一般参加ができるナニャドヤラ踊りが行われます。
さて、奉納舞が終わるとこれにてキリスト祭は終了になります。祭の時間は全体で1時間ほど、しかし1時間とは思えないほど濃密な時間を体験しました。最後は地元の飲むヨーグルトの乾杯で幕を閉じます。
余談ですが2004年には新郷村に、キリストと縁深いイスラエル東部のエルサレム市から「友好の証」として石碑が寄贈され、キリストの墓とイスキリの墓の間に設置されています。
真の程はさておき、神秘とロマンに思いをめぐらせるミステリアスなスポットであるキリストの墓と伝説。そして、それを半世紀以上伝えてきた新郷村の人々の気持ちが伝わるキリスト祭でした。皆さんも是非一度キリスト祭に訪れてみてはいかがでしょう。
by ひらぱー
キリストの里伝承館 | |
---|---|
場所 | 〒039-1801 青森県三戸郡新郷村戸来野月野月33−1 |
TEL | 0178-78-3741 |
時間 | 営業時間/午前9時~午後5時 休日/毎週水曜日(夏休み期間中は無休) |
料金 | 高校生以上 200円 小・中学生 100円 |
Webサイト | キリストの里伝承館 |
掲載されている内容は取材当時の情報です。メニュー、料金、営業日など変更になっている可能性がありますので、最新の情報は店舗等に直接お問合せください。