まるごと青森

【JOMONトーク Vol.2】みぞれの日、車いすのお客さんと(三内丸山応援隊・中村文子さん)

観光スポット 青森の人 | 2021-10-07 12:48

こんにちは、エムアイです!

今回は青森の縄文遺跡群の中核ともいえる、三内丸山遺跡に行ってきました!

お話をうがかったのは、三内丸山応援隊のボランティアガイド、中村文子さん。お客さんとの心温まるエピソードなど、印象深いお話をたくさん聞かせていただきました。

大型掘立柱建物(手前)と大型竪穴建物(奥)

― もうだいぶ長いことガイドを続けていらっしゃるそうですね。

「26年になります。長いでしょ(笑)」

― そんなに長く続けられるって、すごいです。

「でも最初はね、縄文のことなんて何も知らなかったの」

― そうなんですか?

「縄文の『じょ』の字も知らなくて(笑)」

― まあ、ふつうはそうですよね。どんなめぐり合わせで縄文と出会ったのでしょう。

「縄文との出会いねえ…三内丸山遺跡が公開された1994年。今でもよく覚えてる。現地説明会が開催されたのね。8月の6日と7日の2日間。約8,000人の見学者の1人がわたしでね。朝の9時に開く予定だったのが、あんまりたくさん人が並んだものだから、1時間はやく開いて」

― 開始時間の前倒しですか! そんなことがあったとは…

「わたしはね、会社の人に誘われて、4人くらいで行ったの。みんなで仕事さぼって(笑)。でもね、遺跡を見ても、穴だらけで何が何だかよくわからなかった。説明する人がね、遺跡の要所にいるんだけど、専門用語がたくさん出てきて、よくわからない。柱穴(ちゅうけつ)とか、言われてもね」

― ちょっとわかりにくいですよね(笑)。

初めて三内丸山遺跡に来たときは「穴だらけで何が何だかよくわからなかった」と中村さん。

「そのあと、新聞記事とか、テレビのニュースを見てるうちに、ものすごい遺跡なんだってことが少しずつわかってきて。わたしたちが小さいときに遊んでいたあの場所の下に、こんなに素晴らしい遺跡があって、5,000年前の人たちがここで生活していた、そのことに感激したの」

「どんどん関心が深まって、フォーラムに行ってみたりもしてね。あるとき、商工会議所の人が話した言葉が刺さったんです。『県庁の人だけではなく、民間でも遺跡を支えていくことが必要』ってその方が言って。民間で支えるだなんて、考えたこともなかった。これはもう素晴らしいと思って。勢いだけで飛び込んだ感じ」

― ボランティアガイドに、ですか?

「電話をかけて、ぜひガイドをやりたいんですけどって応募したの。最初は57人でスタート。1995年の春に集まって、一人ずつ自己紹介して、動機とかを話してね。中にはけっこう縄文に詳しい人たちもいるわけ。わたしなんて縄文のこと何も知らないから、逃げ出そうかと思ったくらい(笑)。でもまあ、やってダメならやめようっていう感じで」

「研修で使った本は今でも持ってます。『青森県のあけぼの』という本で、縄文全般のことが書いてあるの。研修の最後にはガイドのマニュアルも渡されて。でも、読み方すらわからない言葉もあって。石鏃(せきぞく)とか、辞書で調べて読みがなを書いたり。辞書にも載っていないような言葉もあったりしてね。あとは暗記です。とにかく暗記するしかない」

大量に出土する三内丸山遺跡の土器

― 難しい言葉が多くて大変そうですね。

「会社にマニュアルを持っていって、仕事してるふりして読んでました(笑)。赤いマーカー引いたりして」

26年前のガイドマニュアル

― ずいぶん熱心だったんですね。ガイドとしてデビューしたのは?

「デビューは1995年の7月。初めてガイドしたとき、すっごく緊張しちゃって。そのときはね、お客さんが先に遺跡で待ってたわけ。お客さんのところに行って『お待たせしました』って言ったとたん、足が震えて転んじゃったの(笑)。お客さんがマイクを拾ってくれて。もう頭のなか真っ白。ズボンは破けるし。立ち上がるときもお客さんに助けてもらって」

― 鮮烈なデビューですね。

「当時は40代の後半だったけど、ガイドをしていると、ときどき話す内容を忘れたり、頭のなかが真っ白になったりするの。そういうときはね、お客さんが励ましてくれるわけ。がんばれって(笑)」

― 場数を踏んで、だんだん慣れていったわけですね。

「今ではもう、相手に応じて言い方を変えられるようになりました。夏休みには子どもがたくさん来るんだけど、そのときは難しい言葉を使わないようにするとか。『あ、このお客さんは縄文に興味ないな』と感じたら、少しでも興味を持ってもらえるように言い方を変えたり」

― さすがベテランガイド。だいぶこなれてますね。

「そうそう、こなれてきた(笑)。でもね、26年やってるけど、いいガイドをしたなって感じたことは一度もない」

― いやいや、そんなことはないでしょう(笑)。一度も、ですか?

「うん。ああ言えばよかった、こういう話し方をすればよかったとか、考えるよね。いいガイドをしたなっていうのは、なかなかない。…あ、1回だけ、あった」

― 1回だけですか(笑)。ぜひ聞かせてください!

「あれはね、みぞれが降った12月のはじめ。年配の奥さまと旦那さまが来たんです。奥さまは車いすで。『今日はみぞれが降っていて寒いですよ』って言ったら、それでも見たいって。でも薄着なんですよ。車いすの方って、動きまわるわたしたちよりもっと寒いんじゃないかって、わたし思って。それでその方に手袋を貸したり、腰に縄文服を巻いたりして、ガイドを始めたわけ。ほかのお客さんも5、6人いたんですよ。ガイドをしながらみんなで遺跡をまわっていたら、段差がある場所とかで、お客さんたちが車いすの方を手伝ってくれて。なんだかね、みんなが一体になったようで、これってものすごく縄文っぽいなと思って、心が震えたの。お客さんと一体になって遺跡をまわって、みんなが喜んで帰った、忘れられないガイド。そうそう、その車いすの方がね、『死んだらここに埋めてほしい』って最後におっしゃって(笑)」

「わたしたちはいつも緑に囲まれてるけど、都会の人たちは遺跡の風景だけでも、癒されるのかしらねえ」と中村さん。

「ほんとうにいろんなお客さんが来るんですよ。わたしね、背中に土偶のついたパーカを着てガイドするんだけど、そんなわたしを見た都会の女子高生が『土偶が動いてる』『土偶がしゃべってる』とか言ったりして(笑)」

「権力争いがなく、権力という言葉すらなく、ただただ自然のなかで一生懸命生きてきた、そういうところかな。そういうところにひかれる」と中村さんは言う。

「あと、福島県の中学生たちが来てくれたのもいい思い出。合唱コンクールの東北大会で青森に来てたのね。ひととおり遺跡をまわって、大型竪穴建物の中でガイドが終わるんだけど、『なにか一曲歌ってください』って言ったら、先生の指揮で歌ってくれたの。20人くらいだったかなあ。男女混合で、その歌があまりにも清らかな感じがして、わたし思わず泣いちゃって。そしたら生徒さんたちも泣いて、まわりで見ていた保護者も泣いて、ということがあった。もうわけがわからないでしょ(笑)。みんな泣きながら帰ってった」

中学生たちが合唱してくれたという、大型竪穴建物の内部。

― 光景が目に浮かぶようです。三内丸山遺跡にはいろんな見どころがありますよね。中村さんにとって、とくに思い入れのある場所はどこですか?

「わたしが好きなのは、お墓のある、海に続いている道。そこに立って、目を閉じて考えるの。どんな人たちがここを通ってきたのか、どんな思いでこの遺跡に入ってきたのか…」

「あとは南盛土ね。いろんなものを捨てて、土を持ってきて整地して、数えきれないくらいの層を作り続けるエネルギーはどこから出てくるんだろうと思う。1,000年間、世代を超えて、延々と続けていたって、ほんとうにすごい話で。三内丸山の人たちがいちばんエネルギーを使っていたのは、盛土なんじゃないかな。だって建物は作ったら完成じゃない? でも盛土って…」

― ずっと終わらない?

「そうねえ。ずっと終わらない」

南盛土の断面。大量の土器や石器、土偶やヒスイ製の玉などが土と一緒に捨てられ、約1,000年をかけて丘のようになった。「建物は作ったら完成じゃない? でも盛土って…」と中村さん。

― ガイドになる前となった後で、生活はどう変わりましたか?

「自分がガイドになってから、いろんな観光地のガイドを聞くようになりました。両国のまち歩きツアーとか、江戸東京博物館とか、大阪の百舌鳥・古市古墳群とかね。都会の人たちは上手で、洗練されてる(笑)。なんだろうね、話に無駄がないっていうのかな。このガイド素敵だなと思ったら真似するようにしてる。あまり思いが強すぎるのも、意外とダメなもんだよね。サラッとしたほうがね、なんだろう、感動する。たまに県の職員がガイドするのを聞くんだけど、事実しかしゃべらないのに、異常に感激するんだよね(笑)。うまい!って(笑)。やっぱり専門職の人たちは、わたしみたいな知ったかぶりとはちがう」

― そんな謙遜しないでください(笑)。中村さんのガイドで感動した人は、ものすごくたくさんいると思いますよ。

「わたしたちはいつも緑に囲まれてるけど、都会の人たちは遺跡の風景だけでも、癒されるのかしらねえ。今の時代はね、人の心が、どうもね。みんな将来が見えなくて、不安なのかなあ。原点に返りたいという気持ちがあるから、遺跡に来てくれるのかなあ」

「わたしたちガイドは1時間でまわらなきゃと思うから、ときどき駆け足になっちゃうんだけど、お客さんって絶対急がないわけ。ゆったりした環境で、ゆったりとガイドするのが大切なのかも。縄文の雰囲気に合わせて、静かに、ゆっくり」

― 縄文と中村さんの生活は、切っても切り離せないものになっていますね。

「縄文の『じょ』の字も知らないところから始まって、ガイドを26年やって、いまはもう生活のほとんどいつも、寝ても覚めても縄文のことを考えるようになっちゃった(笑)。奈良の法隆寺に行っても、国宝の仏像がしゃこちゃん(遮光器土偶)に見えるんですもの。ハンパないでしょう(笑)」

― 中村さんの縄文にたいする思いは深くて、複雑で、とても一言では表せないものだと想像するのですが、あえて質問させてください! 中村さんにとって、縄文とはなんですか?

 

(しばし沈黙…)

 

「縄文は生きる力。わたしの人生の後半は、三内丸山が彩りを与えてくれた。人生の師と仰ぐ方とめぐり逢えたのも三内丸山のおかげです」

― 最後に、これを読んでいる方に向けてメッセージをお願いします。

「…縄文はね、あなたのね、心のふるさとだよといいたい。だから、ぜひ遺跡に来て、感じとってほしいです」

― 中村さん、素敵なお話をありがとうございました!

 

by エムアイ

三内丸山遺跡センター
場所青森県青森市三内字丸山305
TEL017-766-8282
FAX017-766-2365
時間9:00~17:00
料金大人410円(330円)、高校生・大学生等200円(160円)、中学生以下無料 ※( )は20名以上の料金
Webサイト特別史跡「三内丸山遺跡」

掲載されている内容は取材当時の情報です。メニュー、料金、営業日など変更になっている可能性がありますので、最新の情報は店舗等に直接お問合せください。

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