今回は田小屋野貝塚(たごやのかいづか)にお邪魔してきました。
お話をうかがったのは、つがる市教育委員会の学芸員、小林和樹さん!
貝塚の近くにある縄文遺跡案内所でインタビューしました。
― 小林さん、これ、ほんとに持ち帰っていいんですか?
「もちろんです。ご自由にどうぞ」
― 世の中にはいろんな「ご自由にお持ちください」がありますが、こういうのは初めて見ました。
「錦石とかベンケイ貝は、出来島海岸でよく取れるんです。私もたまに拾ってます」
― JOMONトークVol.3でお話を伺った木戸さんも、海岸に物を拾いに行くと話していました。つがる市の学芸員さんのあいだで流行しているのでしょうか…
「木戸さんはとくにそういうの好きですね。ほかには黒曜石も拾えます。岩木山由来の」
― 岩木山由来?
「黒曜石って溶岩からできるんです。縄文より前の旧石器時代に岩木山の大噴火があって、江戸時代にも小規模な噴火があったようです。なので津軽平野一帯には、火山灰の層が堆積しています」
― 岩木山と縄文には、深いつながりがあると聞いたことがあります。
「ええ。岩木山のふもとでは縄文遺跡がたくさん見つかっています」
― 縄文遺跡って、世界文化遺産になった県内の8つ以外にも、すごくたくさんあるんですよね。
「そうです。このあたりに住んでいた人たちは、岩木山を見て暮らしていました。現代でも山自体を神さまとするお山参詣という行事がありますよね。縄文時代にも岩木山が神さまとして崇められていたのかもしれません」
― 時代が変わっても、共通する感覚があるのかもしれないということですね。そういえばこのあいだ木戸さんから、つがる市の4人の学芸員はみんな県外出身者だと聞きました。
「そうなんです。みんな東北ですらない(笑)」
― 小林さんはどちらのご出身ですか?
「神奈川です。ご先祖が五所川原の人だったこともあって、もともとこの地域の歴史には興味がありました。つがる市に着任したのは2018年の4月です」
― 遺跡が世界遺産になって、どんな変化がありましたか?
「お客さんはけっこう増えましたね。カルコ(つがる市縄文住居展示資料館)→ 亀ヶ岡石器時代遺跡・田小屋野貝塚→ 縄文館(館内に木造亀ヶ岡考古資料室がある)というルートでまわるお客さんが多いですね。あと、高山稲荷神社や十三湖に行くついでに寄ってくれる人もいます」
― メインの目的が縄文じゃなくても、ついでにふらっと遺跡や施設に来てくれるのはいいですね。つがる市にある2つの史跡のうち、今回は田小屋野貝塚についてお聞きしたいと思います。そもそも貝塚ってなんでしたっけ?
「昔の教科書的にいうと、ゴミ捨て場ですね。でも現在はそうとは考えられていなくて。食べたあとの貝殻が積もっているから貝塚というんですが、貝のほかにも、動物の骨とか、使い終わった道具、それに人の骨まで出てくる。ゴミだけではなく、命を終えたもの、役割を終えたもののすべてをあの世に送り返していたと、現在は考えられています。だから、捨てる、ではないんだよなあ。収めた、というのも違うし。なんといえばいいのか…」
― なんとなくニュアンスはわかるような気がします。「あの世に送り返す」という言葉が印象的です。いろんなものが見つかるから、発掘作業はおもしろいでしょうね。
「貝塚には縄文時代の暮らしに関わるものがたくさん詰まっています。いわば縄文のタイムカプセルです」
― 出た、キラーフレーズ(笑)。タイトルに使わせてもらいますね。
「別の取材でこの言葉を使って褒められたので、使いまわしてます(笑)」
― ここに貝塚があるのは、たまたまですか? それともなにか理由が?
「じつは貝塚が日本海側にあること自体、すごく珍しいんです」
― え、どうしてですか?
「いちばんの理由は、潮の満ち引きがあまりないことですね。太平洋側だと潮干狩りができるけど、日本海側ではなかなかできない」
― なのにここには貝塚があります。しかも、けっこう内陸ですよね。
「6,000年くらい前は今より暖かい時代だったんです。つまり、海水面が上昇していた。現在の津軽平野には田んぼが広がっていますが、当時は十三湖のほうから海水が入り込んでいたと考えられます」
― 入り江のようになっていた、というイメージで合ってますか?
「はい、入り江です。すぐそこが波打ち際で、ちょっと崖を下りるだけで貝や魚がとれたんです」
― 史跡の整備も進んでいるようですね。
「今年度から実物大の展示パネルを地面に設置しました。実際に貝塚を発掘したときの写真を使っています」
― 田小屋野貝塚の、ここがスゴイ!というポイントはなんでしょう。
「ベンケイ貝のブレスレット工房があったことですね。交易でほかのムラに運ばれたと考えられていて、関東や北海道でベンケイ貝のブレスレットが見つかっています」
― そんな遠い場所とのやりとりがあったんですね。
「ベンケイ貝は寒いところに住めないので、北海道で見つかっているのはたぶんここから運ばれたものです。それとは逆に、田小屋野貝塚からは北海道産の黒曜石が出土しています。これらの証拠から、縄文時代から津軽海峡を越えた交流があったといえます」
― 「これらの証拠から」という言いまわしが専門家らしくてグッときます。交易があったのは、年代でいうと…
「5,000~6,000年前ですね」
― みんなで荷物を抱えて、津軽海峡フェリーに乗って…
「いえいえ(笑)、当時は丸木舟でした。丸太をくりぬいたボートですね。2~4人乗りの。帆船ではなく手漕ぎだと思います」
― 丸太のボートで海を横断するなんて、ちょっと考えられないですね。
「おそらく縄文人は天気や潮の流れを経験的に熟知していたんだと思います。なんとかうまく渡ったんでしょうね」
― カルコには人骨もありますよね。展示のハイライト的な感じで。
「2012年の調査で見つかった人骨のことですね。骨盤のかたちと妊娠の痕跡から、女性だということがわかっています。歯のすり減り具合からおおよその年齢もわかりました」
― 何歳くらいだったんですか?
「壮年から熟年です」
― おおざっぱですね(笑)!
「縄文人の平均寿命は30歳くらいなので、この人は当時としてはだいぶ長生きしたといえます。日本の土壌は酸性で、通常だと人骨は溶けてしまうんですが、貝塚ではシジミをはじめとした貝殻のカルシウムのアルカリが土壌を中和します」
― だから何千年ものあいだ骨が保たれたんですね。納得しました。ところで、縄文以外に小林さんの好きなものってありますか?
「古い建物が好きですね。つがる市でいうと、旧制木造中学校講堂」
― おしゃれな建物ですね!
「昭和初期のレトロな建物で、つがる市の指定文化財になっています」
― さすが学芸員。さりげなく文化財をPRするところがすごいです。最後に、読者の皆さんに一言どうぞ!
「田小屋野はよく田子屋野と間違えられます。田子にんにくの田子ではありませんので、皆さんこの機会に正しく覚えていただければと思います」
― いろいろと勉強になりました。小林さん、ありがとうございました! レトロな建物も見に行ってみます!
by エムアイ
縄文住居展示資料館カルコ | |
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場所 | 青森県つがる市木造若緑59-1 |
TEL | 0173-42-6490 |
時間 | 9:00~16:00 【休館日】・月曜日 ・祝日の翌日 ・年末年始 |
料金 | 一般 200円(100円)、高校・大学生 100円(50円)、小・中学生 50円(20円) ※ カッコ内は団体料金(15人以上)の料金 |
Webサイト | 縄文住居展示資料館カルコ |
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