岩木山のふもとに位置する大森勝山遺跡。青森県の縄文遺跡群のなかでもとくに景観にすぐれ、ストーンサークルから岩木山を間近に望むことができます。
今回は、弘前市教育委員会文化財課の東海林心さんにお話を伺いました。
― 東海林さん、単刀直入にうかがいます! 考古学に興味を持ったきっかけはなんですか?
「インディ・ジョーンズです」
― おお…いきなり意外な話が出ましたね。インディの職業って…
「考古学者です。なので考古学っていうのは、ああいうものなんだろうなと思って。私が中学生になるかならないかのころですね」
― インディ・ジョーンズを目指しはじめたと。
「いえ、そういうわけではなくて(笑)」


「高校生のころはエジプトを研究したいと思っていましたが、大学では日本の考古学を勉強しました」
― 考古学の研究でとくに印象に残っているエピソードはありますか?
「夏になると、ゼミ全体で2、3週間かけて泊りがけの調査をするんです。福井県の永平寺に行って、全長100メートルの前方後円墳の測量をしたりしました。昼間は測量して、夜は図面を直して」
― 修学旅行みたいで楽しそうです。そのころはまだ縄文と出会っていなかったということですか?
「縄文の概説的なことは大学で勉強しました。縄文に正面から取り組んだのは、大学を出て、青森県埋蔵文化財調査センターの調査補助員になってからです。ちょうど西目屋ダムの発掘が行われていたときでした」
― その後、弘前市教育委員会に入ったわけですね。大森勝山遺跡が世界遺産になって、どんな変化がありましたか?
「大手旅行会社が企画するツアーの予約が増えました。お客さんが来たときにはガイドとして対応しています」
― 東海林さんご自身がですか?
「そうです。これからガイド団体がお客さんに対応できる体制を整えていく予定です」

― 本物のストーンサークルは保存のために埋め戻されていますよね。私がはじめて大森勝山遺跡に行ったのは2019年の春で、そのころは草が一面に生い茂っている状態でした。今は石が配置されています。これってすごく大変な作業だったんじゃないですか?
「そうですね。実物大展示、と呼んでいます。石質も、色も、形も、大きさも同じ石を、本物と同じ場所に配置しました。ストーンサークルに触れることができない遺跡が多いなか、ここでは本物の石と同じものに触れて、体感することができます。石を選んだり運んだりというのは、主に私の後輩が担当したのですが、岩木山中腹の赤倉沢というところに一か月くらい通っていましたね」
― 縄文時代のストーンサークルと同じものに触れられるというのは、たしかにいいですね。大森勝山遺跡について、あらためて教えていただけますか?
「縄文時代の流れから簡単に話すと、まず世界的に見ると、定住と農耕は密接につながっているんです。でも縄文時代の人々は、狩猟・採集・漁猟をしながら定住を実現していた。これが世界遺産としての価値を認められている点のひとつです。土器を作ったり加工したりする場所を拠点にして暮らしていたわけです。その後、時代が新しくなるにつれて、墓や祭祀の場を家のそばにつくるようになりました」
― そういう流れの中で、三内丸山遺跡のような巨大な集落ができていったわけですね。
「そうです。ところが今から4,000年前の縄文後期になると寒冷化が始まって、集落を維持することが難しくなったため、分散して、生き残りました」

― 寒冷化によって集落の維持が難しくなったというのは…どういうことですか?
「寒くなって、必要なだけの食料を確保できなくなったと考えられます。大規模な集落の周辺だけで大人数の食料を確保するのは大変です。でも分散して集落が小規模になると、それぞれの場所で、必要な分だけを確保できたのかなと思います」
― なるほど。納得しました。
「村どうしがばらばらになったとき、みんなで集まる場としてストーンサークルが作られたと考えられています。共同の祭祀の場があったこと、祭祀の場だけの遺跡があったことを示すのが、大森勝山遺跡です。ここには貯蔵穴も盛土もありません」
― それにしても、どうして縄文人はこの場所を選んだのでしょう。
「目の前に岩木山があるので、一種の山岳信仰があったのかもしれません。岩木山はこの地域の文化や信仰と密接につながっていたと考えられます」
― コロナの前は、年に1回、遺跡で縄文祭りを開催していましたよね。
「はい。世界遺産になったので、これからさらにPRなどに力を入れていきたいと思っています」
― 大森勝山遺跡とあわせて楽しめる観光コンテンツはありますか?
「岩木山をテーマに、岩木山神社や高照神社をめぐるのもいいと思います。高岡の森 弘前藩歴史館や百沢温泉郷もおすすめです」



― このあたりにはりんご畑が広がっています。景観もセットで楽しめますね。
「そうですね。シーズンによって、りんごの花や、実っているりんごを眺めながらドライブできます。嶽きみもありますし」



― 遺跡以外に弘前市内で見てほしいスポットはありますか?
「堀越城跡ですね。2020年に全面公開しました。弘前城の前身と考えるとわかりやすいかと思います。弘前藩初代藩主の津軽為信が住んでいた城で、17年間、藩政の中心地として利用されていました。為信って、じつは地域のパイオニア的な存在だったんです」
― というと?
「為信はいかに中央と結びついて新しい技術を導入するかということを考えていました。秀吉や信長が使っていた最先端の技術を、堀越城で応用したんです。なので堀越城は、青森県内ではほかに見られないような方法で建てられています」

― お城が好きな人におすすめできるスポットですね。縄文に話を戻しますが、冬至に大森勝山遺跡から岩木山を眺めると、太陽がちょうど山頂に沈むと聞いたことがあります。
「そうなんです。やはり何かしら神聖な場所として、ストーンサークルを作るのにふさわしい場所として、ここが選ばれたんだと思います。年に2、3回、満月がちょうどてっぺんに刺さるときもあります」
― えっ、月もですか!? それは初耳です。
「2021年5月27日、朝の3時に、スーパームーンを撮影した写真があります」

― おー、これはすごい。寝ないで行ったんですか?
「いちおう仮眠はとりました。3時頃に刺さりそうだということが事前にわかっていたので、2時半にもう一人の職員と遺跡で待ち合わせました」
― それぞれ車を運転して?
「そうです。遺跡まで車で」
― 夜中の遺跡って、真っ暗ですよね?
「ふだんは真っ暗ですね。でもこの日はスーパームーンだったので、わりと明るかったです。一眼レフで撮影して、平日だったのでそのまま仕事に行きました」
― 最後の質問です。ほんとうはエジプトの研究がしたいのでは?
「(笑)、エジプトのことは気にしていないわけではないですが、今は縄文の魅力をしっかり伝えていきたいですね」
― 東海林さん、ありがとうございました! 堀越城跡にも行ってみます!
by エムアイ
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