10ccのしあわせ
2022年6月。
JR大湊線に沿って国道279号線(菜の花ロード)が野辺地町と下北半島を結んでいる。Tさんが運転する車でその道を北上し、むつ市に向かった。樹木や家並に遮られて見えないが、左手には陸奥湾が広がっている。途中の「道の駅よこはま」で小休憩。横浜町は菜の花畑で知られている。ただ、いまは季節ではない。
むつ市の街中のホテルに着いてすぐ、高台に立つ「むつグランドホテル」の「美人の湯 斗南温泉」に出かけた。料金は600円と高めだが造りは立派だし、露天風呂は濃いピンクのツツジの花に囲まれていて、高級ホテルの風格をうかがわせる。ここの湯はうたい文句通りなめらかで、湯船の中で肌をさするとすべすべとして気持ちがいい。
湯船の縁に3~4歳の女の子がちょこんと座っている。「誰と来たのかな」と奥に目をやると、いたいた。少し離れたところから、「じいじ」が目を細めて孫娘を見ている。体を洗って脱衣所に入ったら、孫の髪をドライヤーで乾かすじいじの後ろ姿が見えた。じいじはいま、幸せなんだろうな。
斗南温泉の斗南は、旧斗南藩に由来する。明治初年、新政府軍との闘いに敗れて所領を没収された会津藩は前藩主の長男、松平容大(かたはる)を藩主として再興を許され、斗南藩と名を変えて、いまのむつ市を中心とする領地を与えられた。だが、そこは冬ともなれば陸奥湾からの寒風が吹きすさぶ極寒の地で、食べるものも十分に手に入らず、困窮を極めた。廃藩置県までの2年足らずの期間だったが、この地に苦難の歴史を刻むことになった。
斗南の湯からほど近いところに斗南藩史跡地がある。200戸ほどの住宅街の跡地で、何も残ってはいないけれど、ここを訪れて新たに知ったことがある。それは容大の娘、節子姫が昭和の初めに秩父宮殿下と結婚し、皇族となられたことだった。両殿下は昭和11年に斗南の地を訪問されていた。明治以降、長い間「朝敵」とされてきた会津藩が晴れて皇室とのつながりを持ったわけだ。少しほっとした。
夜はホテル近くの居酒屋「こうちゃん」。地元で明治23年に創業した関乃井酒造の普通酒を頼んだ。本州最北端の蔵元が醸す酒は下北半島でしか飲むことができない。のど越しの柔らかさ、馥郁(ふくいく)とした香りは知られざる美酒と言っていい。
2階で宴会をやっているらしく、下足箱に黒い革靴がずらりと並んでいる。ふと見ると店主が客の靴を磨き始めた。この光景を目にしていなかったら店主に声をかけることはなかったろう。「いつもそうやって磨くんですか?」「いやいや、暇なときだけね」。そこから店主は問わず語りに来し方を話してくれた。
昭和37年に地元の田名部中学を出て、集団就職で小田原の老舗かまぼこメーカーの社員になった。10年余り「練り方」を任されたが、その後いくつかの職を経てスーパーの店長に迎えられた。70歳を機に退職し、開いたのがこの居酒屋だ。それから5年が経つ。「小田原では3食付きの寮生活だったから、あんまり外にも出なくて……。就職して3年目に用事でむつに帰ったときは、上野からむつまで満員の汽車で立ちっぱなし。指定席があることを知らなかったからね」。誰にでも人生の山坂はあるが、店主の口ぶりは過去よりもこの先を見ているようだった。70歳での居酒屋開業がそのことを物語っている。
店主は私たちが一見の客にもかかわらず、新しい酒を注文するたびに小さなグラスで10ccほどの「おまけ」をくれた。しあわせの余滴。
野瀬泰申(のせ・やすのぶ)
<略歴>
1951年、福岡県生まれ。コラムニスト。元日本経済新聞特任編集委員。著書に「天ぷらにソースをかけますか?」(ちくま文庫)、「食品サンプルの誕生」(同)、「文学ご馳走帖」(幻冬舎新書)など。
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居酒屋 こうちゃん | |
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場所 | むつ市本町2-33 |
TEL | 0175-34-0909 |
Webサイト | 居酒屋 こうちゃん |
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