6月。
前日、佐井村漁協を訪ねた折、漁業カレンダーを見せてもらった。主なものだけ紹介する。1月=マダラ、2月=メバル、アンコウ、ムシガレイ、4月=ヤリイカ、ウニ、5月=マダイ、ウニ、6月=ブリ、7月=ヒラメ、8月=ホヤ、コンブ、9月=本マグロ、カサゴ、11月=アワビ、秋サケ、12月=ミズダコ。
暖流の対馬海流と寒流の親潮が流れ込む津軽海峡では、日本海の魚と太平洋の魚が両方捕れる。そのせいで魚種の多さには目を見張るものがある。ウニを含め、年間を通してとれたての海の幸を味わいたいなら、下北半島はうってつけの場所だろう。今回は素通りしたが、大間町の食堂や居酒屋、半島に点在する温泉旅館などが狙い目ではないか。

さて旅の最終日を迎えた。まずは午前中、恐山に向かう途中にある「むつ矢立温泉」に行った。キャンプ場やバーベキュー広場などを備えたレジャー施設で、温泉旅館の風呂が立ち寄り湯になっている。

450円を払って浴室のドアを開ける。真ん中に柱がある大きな湯船から盛大に湯気が立ち上っている。先に浸かっていた同行のTさんが「あちっ」と言って上がった。「熱いですか?」「熱いです」。熱い湯が苦手な私は、そっと湯に身を沈めたが10秒で決着がついた。「熱―」。
この温泉は湯温が高いことで知られている。係の人が入ってきて水を足し、湯もみを始めた。浴室の隅に水を張った白い家庭用バスタブが2つ並べて置いてある。火照った体を冷やすためで、サウナの水風呂みたいなものだ。お湯が絶えず湯船からあふれ出ている。床に横になれば、いわゆる「寝湯」になる。トド寝にはもってこいではないか。

不思議なことにお湯から上がっても、体は湯気に包まれてじんわり火照ったままだ。周りを見ると、特になにもせずに座っている人が何人かいる。低温サウナを楽しんでいるのだろうか。
汗が引くのを待たず、街中に車を走らせた。目指すは「美味小屋(うまごや) 蛮」だ。店内は無駄な装飾もなく品よく設えられている。

店主が水を持ってきた。「アラン・ドロンカレーをお願いします」。店の片隅で背を向けている若い女性が食べているのはアラン・ドロンカレー。次にやって来たカップルもアラン・ドロンカレーを注文した。店主に尋ねた。「もう何百回も同じことを聞かれたと思いますが、アラン・ドロンカレーの由来は何ですか?」。すると店主はマスクの上の目を笑顔にして「どなたに聞かれても、食べてみればわかりますとお答えしています」と言った。
ほどなくそのカレーが登場した。カレールーの海に浮かぶ純白のライスの島。その上に丸いメンチカツがのっている。メンチカツにナイフを入れたら、「あらっ」と思った次の瞬間、中からチーズが「どろん」ととろけ出してきた。

もう40年近く前に店のまかないから表のメニューになったというが、スパイスの配合といいメンチとチーズの組み合わせといい、歳月を感じさせないどころか新鮮ですらある。サラダがついて1200円。
トイレに入ると、この店を取り上げた地元紙の切り抜きが張ってあった。アラン・ドロンカレー命名の事情が記されている。だが、ここで書くと完全なネタバレになってしまうので、我慢して書かないことにしよう。
旅は終わった。九州生まれの私にとって下北半島は地図上の存在でしかなかった。しかしわずか2日とはいえ、実際に風土と人々に接したことで記憶の地図の一部になった。
下北半島に行けたしあわせ。
(了)
野瀬泰申(のせ・やすのぶ)
<略歴>
1951年、福岡県生まれ。コラムニスト。元日本経済新聞特任編集委員。著書に「天ぷらにソースをかけますか?」(ちくま文庫)、「食品サンプルの誕生」(同)、「文学ご馳走帖」(幻冬舎新書)など。
あわせて読みたい記事
野瀬泰申の「青森しあわせ紀行①」
野瀬泰申の「青森しあわせ紀行②」
野瀬泰申の「青森しあわせ紀行③」
野瀬泰申の「青森しあわせ紀行④」
美味小屋 蛮 | |
---|---|
場所 | むつ市大湊新町16-2 |
TEL | 0175-29-3347 |
Webサイト | 美味小屋 蛮 |
掲載されている内容は取材当時の情報です。メニュー、料金、営業日など変更になっている可能性がありますので、最新の情報は店舗等に直接お問合せください。