8月5日(金曜)
前夜はねぶたを見終えて、最終の新幹線で八戸のホテルに泊まった。寝覚めはさわやかで、本日から同行してくれるTさんと合流。最初に向かったのは熊ノ沢温泉だった。450円であつ湯、ぬる湯、炭酸泉、露天風呂を楽しめる。平日の朝だというのに客は多い。茶褐色のあつ湯に身を沈めたら、あっという間にじんじんと体の芯から温まってきた。
この温泉のパンフレットには茶褐色の温泉について「太古の昔に地下へと沈み堆積した植物が亜炭層となり、そこから湧き出したお湯の中には植物繊維が沈殿しています」と書かれている。ということは温泉成分が植物由来の「モール温泉」ではないか。青森県内では東北町のモール温泉が知られているけれど、ここもそうだった。
生まれて初めてモール温泉を体験できた小さなしあわせをかみしめながら八食センターに向かった。八食センターは1回目のB-1グランプリの会場になった思い出の場所。それは2006年2月のことだった。私はテクニカル・アドバイザーとかの肩書をもらって参加した。会場は八食センターの催事場で、予想に反して1万7000人もの来場者があり、狭い会場はごった返した。用意した食べ物は午前中には売り切れてしまった。あれがB-1グランプリの出発点だ。
以来、八食センターには何度も足を運んでいるが、今回はちょっとした目的があった。青森県内のスーパーや観光地のお土産店で大きな売り場を占めている「海産物系珍味」がどうなっているのかこの目で確かめたかった。広い市場を少し歩くとそこに専門店があった。右から左までずっと珍味が並ぶ。上から下まで珍味が埋める。一体何種類あるのだろう。そこから見えるところに別の専門店があり、ちょっと行けばまた専門店。5軒か6軒を確認したところで結論が出た。「青森県民は全県的に珍味好き」。珍味は青森県の食文化の一大特徴と言っていい。もう一度書く。青森県のスーパーや市場の三大光景は「カップ麺の売り場が巨大」「珍味の売り場が巨大」「ウイスキーや焼酎の容器が巨大」。
八食センターの鮮魚店にはどこも今が旬の「平爪ガニ」が並んでいた。「平ガニ」とも甲羅の模様から「Hガニ」とも呼ばれる。鮮魚店のご主人に聞くと「これはメスだからミソと卵がうまいよ。脚の肉はちゅーちゅー吸う。残りは味噌汁の出しにするといい」ということだった。6、7杯で1000円ほど。私は何年か前、八戸のデパ地下で生きた平爪ガニを買い、知り合いに茹でてもらったことがある。甲羅をはがして周辺のミソを指ですくって口に運んだら、全く未知の味覚だった。ほかのどのカニとも違う鮮やかな味わいに驚いたことを思い出す。
何やかにやで夕方になった。Tさんが案内してくれたのはビルが並ぶ交差点の角にポツンと立つ木造2階建ての「ばんや」だった。6時の開店だが少し前に行くとすでに3人が並んでいた。私たちの後ろにも3人が並んだ。6時ちょうどに引き戸が開き、中に案内された。照明は暗め。壁には墨で書いたメニューが貼ってあるが、料理にも酒にも値段の表示がない。何度も訪れているTさんは「大丈夫ですよ。そんなに高くありませんから」と言った。
八戸の名店として知られているだけあってしめ鯖は新鮮で絶妙な酢の加減。イカのとも和えも文句の言いようがない出来だ。山菜のミズの茎とひき肉を炒めたものは、山菜文化がない九州で生まれ育った私にとっては不思議な食べ物だった。ウニは見たことがないほど粒が大きくて、塩をちょんとつけて食べるとコクと風味が倍増した。地酒を「もっきり」で3杯いただいたせいで、早々に酔った。
「もう一軒行きます」というTさんについて「はっと」という居酒屋に入った。ここは1回目のB-1グランプリの打ち上げをした店だ。あのときママの八戸弁が半分も理解できず、それが返って嬉しかった。再会したママは県外客ばかり相手にしてきたせいか、訛りが消えていた。あれから16年。いろいろなものが変わる。
黙って歩き出したTさんの背中を追うと、またまた懐かしい看板が見えてきた。「洋酒喫茶 プリンス」。この店も16年振りだ。狭い店内もマスターもママもあのころのままで、息子さんが後継者としてカウンターの向こうに立っていた。どちらの店もコロナ禍で大変だったろうに、よくぞ生き残ってくれた。懐かしい笑顔を再び見ることができて、何だかしあわせな気分だった。
野瀬泰申(のせ・やすのぶ)
<略歴>
1951年、福岡県生まれ。コラムニスト。元日本経済新聞特任編集委員。著書に「天ぷらにソースをかけますか?」(ちくま文庫)、「食品サンプルの誕生」(同)、「文学ご馳走帖」(幻冬舎新書)など。
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八食センター | |
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場所 | 八戸市河原木神才22−2 |
TEL | 0178289311 |
Webサイト | 八食センター |
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