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野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その3②」

特産品・お土産 青森の人 | 2022-10-24 11:55

2022年9月9日(金)

前夜は弘前市内に泊まった。目が覚めると快晴。空気冷涼。津軽は東京より早く秋がくる。朝食を済ませ、車で弘前城に行った。もう何年前になるだろうか。津軽そばの取材でこの地を訪れたとき、ちょうど弘前さくらまつりの最中だった。取材は思ったような成果がなく意気消沈しがちだったが、弘前城の桜と人々の浮き立った顔のおかげで元気が戻った。三忠食堂の仮設店舗があった。「日米文化センター」という看板を出したテントを覗いてみたら、古いゲーム機が並んでいた。津軽の花見に欠かせないのがトゲクリガニとシャコと房付きのバナナ。太宰治の「津軽」のころから変わっていないようだった。訪れたとき、弘前城では石垣の積み直しの作業中で、天守の場所が移動していた。その天守を見上げながら、かつて見た花見の賑わいを思い出したというわけだ。

弘前城天守の向こうに岩木山を臨む

「Tさん、次の予定は?」

「アイスです」

車が着いた先は「藤田正紀商店(藤田アイス)」だった。弘前市内には藤田アイスのほかに小山内冷菓店、相馬アイスクリーム商店という専門店がある。昔はアイスキャンデーを作る店がちょいちょいあって、自転車の荷台にくくり付けたボックスで売り歩いていたものだ。しかしその姿はもはや各地で絶滅したというのに、弘前には3軒も残っている。周辺にも何軒かあるようだ。

看板に「昔ながらのカランカランアイス」

販売所の看板を見て納得できるような気がした。アイスを売るリヤカーというか屋台というか、私は確かに弘前さくらまつりの会場で、正確にはお城の中でこれを見ている。お花見や各種のイベントに、このアイスが欠かせないのだろう。販売所の男性が言った。

「これはうちでやっているのではなく、外部の業者さんがうちでアイスを仕入れて販売しているんです」

東京では夏になると冷たいわらび餅を売る軽トラを見かけたものだが、弘前ではアイスなのだ。私はコーンに入ったバナナ味のアイスをいただいた。初めてなのに懐かしいとはこのことか。

弘南鉄道弘前駅

さてこれから平川市に出かけようというところでTさんに急用ができた。Tさんが用件を済ましている間に、私は弘南鉄道に乗って平川市に向かった。弘南鉄道には2路線あって、弘前と黒石を結ぶ路線が田んぼ鉄道、中央弘前と大鰐を結ぶ路線がりんご畑鉄道と呼ばれている。車内に冷房はなく天井の扇風機が回っている。ほとんどの窓が少し開いていて秋の風が車内に吹き込んできた。昭和の残像だ。田んぼ鉄道の名にふさわしく、窓外には黄金色の田んぼが広がっている。

車窓からの田園風景

平賀駅で降りると木村央(ひさし)さんが軽トラで迎えに来てくれた。木村さんは市内でも有数の「きむら果樹園」の5代目だ。昨年まで青森県庁の職員だった。農業改良普及指導員などをしていたが、家業を継ぐため昨年、49歳で早期退職した。

「津軽の桃」。リンゴ県だとばかり思っていた青森県の、それも津軽地方で桃が栽培されていることを知ったのは最近のことだった。それまで桃の北限は秋田県と思っていたのだが、北限はいつの間にか津軽まで北上していたわけだ。津軽での桃栽培の草分けが、76歳になった木村さんの父君、木村俊雄さん。俊雄さんは4代目として58年前からリンゴ栽培に打ち込み、近隣の若手リンゴ農家から「師匠」と慕われている。私がリンゴ畑の中での「平川サガリ」、つまり屋外焼肉の取材をしていたとき、ふらりと姿を見せた男性がいた。サガリを焼いていた若手リンゴ農家の面々が一斉に立ち上がり「師匠、こんにちは」と挨拶した。それがいま思えば俊雄さんだった。 

 丁寧に袋掛けされた「津軽の桃」

リンゴ農家として地域の信望を集める俊雄さんだったが、台風でリンゴが壊滅的な被害を受けたのを機に「リンゴ以外」を模索するようになり、30年前に目を付けたのが桃だった。桃の収穫期はリンゴのそれより少し早いから繁忙期が重ならない。剪定や袋かけといったリンゴ栽培の技術も応用できる。

だが初めての果実に挑むのだから、克服すべき困難が山積していた。試行錯誤を重ね、旧平賀町の仲間とともに桃の生産組合を結成して組合長となったのが2004年。桃栽培に取り組み始めてから12年という歳月を経て、ようやく北限の産地が形成された。2019年時点で俊雄さんが所属する津軽みらい農協には84人の桃農家がいる。栽培面積17ヘクタール、販売額は1億円近くになった。

桃を愛でる「きむら果樹園」5代目

央さんに案内された果樹園には見たこともない風景が広がっていた。通路を挟んで片方にピンクの果実をつけた桃の木が植わり、反対側にはまだ青いリンゴの木が並んでいる。これを目の当たりにして初めてリンゴの産地であり、桃の産地でもあることが理解できる。

「桃畑は1ヘクタールで160本の木があって30トンから40トンを収穫します。リンゴは2ヘクタール、木は桃の4倍で80トンの収穫量があります」

きむら果樹園ではちょうど「川中島白桃」の収穫が終わり、次の品種の収穫期を待っているところだった。ここに来る数日前に川中島白桃を送ってもらった。その桃はとてつもなく大きく、計ってみたら1個600グラムという大物もあった。味と香りの素晴らしさについてはあえて書くまでもない。

とてつもなく大きくて甘くてジューシー「川中島白桃」

「平川を3方から囲む小高い山が天然の防風林になっています。土はそれほど肥沃ではありません。肥沃すぎると木の成長が速くなって実の味が薄くなるので、かえって好都合なんです。寒暖の差も激しくて、実は桃の栽培に適した土地です」

若くして農業を志し、地元の弘前大学農学部を卒業した央さんの話には熱がこもる。

「食べてみますか?」

央さんから黄金桃を手渡された。包丁で皮をむく先から果汁がしたたり落ちる。何という桃だ。桃に直接口をつけて果汁を吸う。果肉をかじる。黙って吸う。言葉をなくしてかじる。

きむら果樹園にはホームページがないから、ネットでは買えない。農協を通じて出荷する分を除くと、8割近くが個人のリピーターからの注文だ。生協が1割、輸出が1割、残りはスーパーやケーキ店などに直販している。

もぎたての桃をいただくしあわせ

そんな話をしていると若い男性が現れた。丹代敬也(たんだい・たかや)さん。32歳。平川市の出身だが、東京で俳優業、焼き鳥店経営を経て昨年、Uターンした。

「焼き鳥店では桃をメニューに取り入れていました。桃が大好きです。だから桃を使うより作りたいと思って木村俊雄さんに弟子入りしました」

いま50アールの桃畑を持っている。来年には2倍に増やす計画だ。農業の後継者不足が言われるが、農業で得られる収入が会社勤めの給料と同じかそれ以上になれば、後継者は見つかるだろう。

「3年後には飲食店をやっていたころの収入を上回りたいと思っています」

丹代さんの目標だ。

俊雄さんが桃に挑んで産地を作り、息子の央さんがその夢を継ぐ。そして丹代さんのような若い新規就農者も出現した。みんな笑顔だ。私までしあわせな気分になった。

 

野瀬泰申(のせ・やすのぶ)
<略歴>
1951年、福岡県生まれ。コラムニスト。元日本経済新聞特任編集委員。著書に「天ぷらにソースをかけますか?」(ちくま文庫)、「食品サンプルの誕生」(同)、「文学ご馳走帖」(幻冬舎新書)など。

 

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きむら果樹園
場所青森県平川市

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