東京でアートライターをしている私が縄文時代にハマったのは、今から4年前の2018年。東京、上野の国立博物館で行われた『縄文-1万年の美の鼓動』という展覧会を見たことがきっかけでした。縄文時代といえば、派手で力強い装飾の火焰型土器などが有名ですが、その時私が魅了されたのは、縄文時代草創期に作られたという、すっきりとしたフォルムが美しい青森県出土の《微隆起線文土器》。
「1万年以上も前に、縄文人はこんなに美しい土器を作っていたのか!」
その細部にこだわりながら美を追究する姿勢が、なんとなく現代の日本人のそれに通じるものを感じ、縄文時代に注目していたところ、幸運にも取材させていただくことになったのが、昨年世界遺産に登録された、「北海道・北東北の縄文遺跡群」17カ所のうち、青森県が有する縄文遺跡群8カ所です。
「未開な縄文時代」というイメージを完全に塗り替えた日本最大の縄文集落跡・三内丸山遺跡を中心に、縄文時代の幕開けを告げる大平山元遺跡から、精巧な漆工芸の数々を見ることができる晩期の是川石器時代遺跡まで。青森県の縄文遺跡群は、縄文時代1万年以上の歴史を満遍なくカバーし、盛衰のストーリーを描けることがいいですね。
なかでも感動的だったのは、この遺跡から発見された無文土器片により、縄文時代の始まりが約4000年も遡ったと言われる大平山元遺跡の取材です。地元の中学生・張山君が自宅の裏で縄文時代の石斧を見つけたことをきっかけに遺跡の本格調査が始まったエピソードや、古い小学校を改修した、映画に出てきそうな「大山ふるさと資料館」のたたずまいも印象的。
また、昨年開館したばかりの二ツ森貝塚館の洗練された展示や、今まさに整備が進んでいる田小屋野貝塚&亀ヶ岡石器時代遺跡の規模の大きさにも圧倒されました。
小牧野遺跡や大森勝山遺跡など、縄文人の祈りの場であった環状列石(ストーンサークル)を目の当たりにできたのも貴重な体験。とくに目の前に岩木山がそびえる大森勝山遺跡は、山という自然を崇拝する感覚を、縄文人と共有しているような不思議な気分になりました。
三内丸山遺跡では陸奥湾へと続くメインストリートの両側に、大人のお墓がズラリと並んでいたそうですが、そのように死者を弔う気持ちや、各遺跡の捨て場や貝塚を通して見えてくる、役目を終えた道具たちを丁寧に送る鎮魂の念、また、土器などの製作物に対する高い美意識や、自然と共生しながらの「足るを知る」生活、そして戦争の痕跡のない平和な社会の実現・・・・・・など、知れば知るほど、現代の日本人が普通に持っている感覚や、理想としてきた精神文化を発見することができるのです。
四半世紀前(!)、日本史の勉強をしながら「原始時代のような生活を1万年も続けていたなんて、縄文人、進歩なさすぎ!」と思ったことがありました。しかし、たとえば、聖徳太子が十七条憲法の第一条に「和を以て貴しとなす」と掲げ、その後、「やまと」という国号に、わざわざ「大きな和」の字を当てて、現代にも続く「日本」という国の国柄や国民性を示したとするならば、そうした日本人のエッセンスを1万年以上の時間をかけてゆっくりと醸成したのが、豊かで平和な時代が続いた縄文時代だったのではないか? と思わずにはいられません。
そう考えると、縄文時代は、日本の歴史にとって必要不可欠な時代だった、と、改めて思った青森縄文1万年の旅でした。
下記の動画では、今回の取材をもとに、縄文時代1万年を時系列で解説しています。後日、三内丸山遺跡の解説動画も公開予定ですので、ぜひお楽しみください。
世界遺産になった青森県の全8つの縄文遺跡完全網羅!アートライター木谷節子が解説します。
*本物の「しゃこちゃん」(重要文化財 遮光器土偶)は、2022年10月18日(火)~ 2022年12月11日(日)まで東京国立博物館で開催される展覧会『国宝 東京国立博物館のすべて』で見ることができます。ぜひこの機会に東京にもお運びください。
プロフィール
木谷節子・アートライター
「ぴあ」「THE RAKE」「Bunkamura Magazine」など各種媒体で、展覧会情報や美術関連の記事を執筆。朝日カルチャーセンター千葉では美術講師もつとめる。
掲載されている内容は取材当時の情報です。メニュー、料金、営業日など変更になっている可能性がありますので、最新の情報は店舗等に直接お問合せください。