鍋焼きうどんとトゲクリガニ
2023年1月30日(月)
温湯温泉の飯塚旅館で豪華な朝ごはんをいただいて、黒石市の市街に向かった。かつての銭湯を改装した「松の湯交流館」に行くと黒石観光協会専務理事の野呂淳一さん、こみせ観光ボランティアガイドの会会長の小野せつ子さんが待っていてくださった。
津軽地方はラーメンの爆食い地帯であり、同時に焼きそば密集地帯でもある。その中心地が黒石だ。かつて黒石の焼きそばを取材したことがある。あるパーティー会場には焼きそばを盛った大きな皿がいくつも並んでいた。湯煎していないので冷めた状態だ。ある食堂には出前用のバケツがあった。別の店は使い捨てのオードブル皿で出前をしていた。食料品店にはパック詰めした焼きそばを置いた一角があり、昼前には売り切れるという話を聞いた。黒石市民はどうも冷めた焼きそばでも平気らしいと、そのとき思った。
津軽では調理法も独特だ。専門店は別にして、鉄板ではなく中華鍋かフライパンで焼きそばをこしらえる。平川市の「味助」は中華鍋だった。女将さんと思しき女性は「この鍋でないと美味しい焼きそばはつくれないよ」と言っていた。黒石でもそこは変わらない。
「黒石では冷めた焼きそばは当たり前ですか?」
その問いに野呂さんが答えてくれた。
「懇親会とか、ねぶたのときとか、人が集まるとオードブル皿に盛った焼きそばが出ます。冷めていますが、平気です。ソースをかけてほぐしながら食べます。本当は温かい焼きそばの方がいいので、家では作り立てを食べますよ」
「高校の売店にはパンのほかに必ず焼きそばがありました。新聞紙やビニール袋に入れてくれるのですが、当然冷めていました」
そう答えたのは野呂さんだったか、小野さんだったか。小野さんの次の言葉はよく覚えている。
「お弁当をつくるときご飯を少なくして、その上に焼きそばをのせるんです。ああ唾が出て来た。ソースはカゴメのウスターが一番!」
「観光客にお勧めするのは何ですか?」
野呂さんの返事は明解だった。
「まず焼きそば。次に中華(そば)です。中華はあっさり煮干しのスープに細ちぢれ麺です」
追いかけて小野さん。
「焼きそばはご飯と並んでほぼ主食です。パンだけではお腹がすくので一緒に焼きそばを買うと、主食が焼きそばでパンがおかずになります」
店で食べる場合は「300」とか「500」とか、値段で注文するという。ともかく黒石では焼きそばが主食の一部と認識されていることがわかった。恐るべし。
気が付けば移動の時間だった。車を飛ばして五所川原に向かう。津軽鉄道のストーブ列車に乗ることになっている。両肩から雪の壁が迫る道路を巧みな運転で走り続けるジモティーのSさんのお陰で、発車1分前に駅に到着した。切符は車内で買うことにしてホームに走る。それを見て待っていてくれた列車に飛び込むと、すでにスルメを焼く匂いに包まれた列車がゆっくりと動き出した。隣の客車は団体客が埋めているようで、そこに陣取った「津軽半島観光アテンダント」の女性がマイクを握る。いろいろしゃべっていたが、いつしか歌になった。口三味線のイントロ付き「津軽海峡・冬景色」だ。
古い車両は床から天井まで完全昭和。歌も昭和の名曲だ。外は雪、中はストーブときた。Tさんが日本酒の1合瓶を買ってきて言った。
「やっぱり、これですよね」
小さなコップに酒を注いで一口含む。
「そう、これですよ」
そうこうするうちに金木駅に着いた。ストーブ列車はここまでだ。駅を出ると観光バスが2台止まっている。隣の客車にいた人々がバスに乗り込んで行った。
私たちは太宰治の生家「斜陽館」に近いスーパーに入った。というのも道々、Tさんと話していたことがある。
「津軽だけではないかもしれませんが、青森県人て、鍋焼きうどんが好きみたいですね」
「そうそう、どのスーパーに行っても麺売り場にいろんな鍋焼きうどんを売っていますからね」
私がシソ巻き杏を見ている間、姿が見えなくなっていたTさんが、にこにこ顔で戻って来た。何種類かの鍋焼きうどんと、専用のアルミ鍋を持っている。こんな鍋を売っているということは、やはり鍋焼きうどんは冬場の常備食に違いない。
ところでこの辺りの景気はどうなのだろう。太宰治の生家「斜陽館」を管理する「かなぎ元気倶楽部」の舛甚(ますじん)富美子さんに聞いた。
「去年の12月は全国旅行支援のおかげもあって、人出は多かったですよ。シンガポール、タイ、香港からの旅行者もいました。斜陽館に限って言えば、コロナ禍前の2019年の7割から8割くらいに戻りましたね。平成元(1989)年に始めた津軽三味線全日本金木大会はコロナで2年間中止していましたが、今年9月に日程を2日から1日に短縮して復活します」
それはよかった。日常が戻りつつあるようだ。
斜陽館を見学した後、私たちは近くの「太宰治疎開の家(旧津島家新座敷)」に向かった。戦争末期、戦火を逃れて東京から疎開して来た太宰一家が住んだ家が残っている。太宰が終戦を挟んだ1年4カ月の間に23作品をここで書き上げたという。
疎開中の太宰を訪ねて来た数人の文学青年がいた。この家を管理している白川公視さんは後年、その元青年から当時の様子を聞き取った。書斎の文机に座った白川さんが、太宰と青年たちとのやり取りを再現してくれたのだが、一人芝居が進むにつれて白川さんが太宰その人のように思えてきた。斜陽館とセットで訪ねてみるのがよさそうだ。
青森市に戻って夕食。ジモティーのSさんが予約してくれていた「花さか亭」のテーブルに座っていると色鮮やかな一品が登場した。トゲクリガニだ。しかも身という身をきれいに取り出して甲羅に盛ってある。そばにはカニ味噌。ただただ美しい。一体どうやると身を残すことなく剥けるのか。
トゲクリガニについては、後日取材することになっている。それまで疑問はお預けにして、この旅を終えることにしよう。
(了)
野瀬泰申(のせ・やすのぶ)
<略歴>
1951年、福岡県生まれ。コラムニスト。元日本経済新聞特任編集委員。著書に「天ぷらにソースをかけますか?」(ちくま文庫)、「食品サンプルの誕生」(同)、「文学ご馳走帖」(幻冬舎新書)など。
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太宰治疎開の家 旧津島家新座敷 | |
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場所 | 五所川原市金木町朝日山317−9 |
TEL | 0173-52-3063 |
Webサイト | 太宰治疎開の家 旧津島家新座敷 |
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