「ごままんま」と「夏かんろ」
2023年7月30日(日)
黒石の「ねぷた」を観たくて夏真っ盛りの青森県にやってきた。ねぷたの運行は午後7時から。その前に寄るところがある。弘前市の「津軽あかつきの会」だ。
消えそうになっていた津軽の伝統的な母の味を途絶えさせてはならないと、地元の女性たちが活動を始めて22年。私は3年前にお邪魔して、彼女たちが手間暇をかけた料理の数々を味わった。どれも初めて口にするものばかりだったので、その知恵と工夫に驚き、背後にある風土を思った。
ところが2021年に会が出版した「津軽伝承料理」というレシピ本を読んで気が付いた。例えば農山漁村文化協会から出ている「聞き書」シリーズは47都道府県の古老から伝統料理や行事食を聞き取って紹介しているが、いずれも誰それさんの何とか料理であり、再現してもあくまで個人の調理法や味付けということなにる。
しかしあかつきの会は一つの料理について多くの人を訪ねてレシピを集め、それを標準化した。そこが画期的なのだ。だから若い人が会に入って作り方を習い、あるいは本のレシピ通りにこしらえても、誰それの味ではなく地域の味を再現することができる。
その日の献立は「ごままんま」以下、12品。
「ささげ(大角豆)」はインゲンを長くしたような野菜で、茹でると青みが鮮やかになる。小豆の代わりにささげの豆で赤飯を炊く地方もある。旬は夏だ。「みず」は東北各地で食べられている山菜。山菜文化が希薄な西日本で「みず」といっても伝わらない。「みず」は「水」以外の意味を持たないからだ。
私が目を奪われたのは「ごままんま」だった。昆布、酒、砂糖、塩を加えて炊いたご飯に、すった煎りゴマを混ぜたもので、黒いビジュアルが圧倒的。こんなご飯は見たことがない。だがしかし、食べてみると思わず目をつむりたくなるような深い味わいが広がった。ごまの風味は確かなのに主張しすぎず、ごはんがまとったかすかな塩味とのバランスが絶妙なのだ。
会の活動は様々なメディアに取り上げられ、簡単に言うと有名になった。食事をいただいた部屋の壁には、ここを訪ねた有名人の色紙がずらりと並んでいる。
名が知られれば遠方から人が来る。商品化といったビジネス絡みの話もあるだろう。しかし彼女たちの物言いには少しも浮足立った色合いはない。
もう一人の女性が言った。
「私は仕事を持っていて休みの日にここで料理を教わっています。お客さんが来ればボランティアで接客しますし、みんなで作った料理を食べながらのおしゃべりが楽しい。それでいいんです」
買い求めた「津軽伝承料理」の奥付に手描きの文字でこう書いてあった。
「人と人を継ぐ/ふるさとの味/母の味は/心の宝もの」
彼女たちは放っておけば滅びたであろう母の味を蘇生させて守ってきた。盛大な拍手に値する。なのにこれだけの料理をいただいて1500円。ごちそうさまでした。
外に出ると夏の日差しに照らされてオレンジ色の花が咲き乱れていた。聞けばノウゼンカズラだという。あかつきの会の女性たちに似て、その姿はどこか誇らしげだった。
黒石に行く途中、平川市の「きむら果樹園」に寄った。昨年に続く再訪だ。送っていただいた桃の香りと甘さに魅了され、今年の出来具合が気になっていた。
「とりあえず味見を」
小皿に切り分けた桃がのっている。果実の芯から鮮明なピンク色が広がるこの品種は「夏かんろ」だという。東京のスーパーではお目にかかれない希少品種だ。手に持って口に運ぶ途中から果汁がしたたり落ちる。鼻の前10センチから芳香が漂ってくる。
果樹園の5代目、木村央(ひさし)さんは言った。
「去年の休みは1日だけでした」
ここでは実の9割を摘果する。つまり桃の果実の状態を油断なく見極めながら、残す実を決めていく。それだけでも休む間はないだろうが、収穫の時期になれば作業は夜明けとともに始まる。早朝に摘んだ桃を新鮮なまま出荷するためだ。
加えて今年は「かぐや」と「CX」という新品種が加わった。「かぐや」は「果肉が硬めで、甘さと香りが特徴。濃厚な味が評判の有望新品種」。
「CX」は「果肉がとても硬く、糖度は極めて高い新品種。全国でも超希少な桃」。10月に収穫してクリスマスまでもつので「クリスマス・ピーチ」の別名があるという。
きむら果樹園は今年から道路沿いに直売所を設けることにし、訪ねたその日が初日だった。
「品質に問題はないんですが、ちょっとした傷があるとか形が悪いとかで出荷できない桃が出るんです。そんな桃も丹精込めて育てた桃に違いありません。最後の1個まで味わってもらいたくて」。界隈では桃の直売所第一号だという。
案内されて直売所に行くと木村夫人がいた。テントの下に色鮮やかな桃が並んでいる。どこがどう問題なのかわからない。どれも立派な桃だ。少し買ったら、たいそうなおまけが付いてきた。
桃は東京に戻ってからの楽しみということにして、黒石に向かった。ねぷた運行のメーンスリートであるこみせ通りの両脇には灯篭が飾られ、4年振りの祭りを楽しみにしていた市民が、陽が落ちる前から早々と灯篭の下に腰をおろして祭の始まりを待っている。
少し時間があったので廃業した銭湯を改造した「松の湯交流館」に行った。ホールの隅のカウンターに男性が立っている。この人に聞いてみよう。
「黒石には青森のねぶた師のような人はいるんですか?」
「いますよ。私がそうです。黒石のねぷた師です」
いただいた名刺には「松の湯交流館館長 今井秋行(ときゆき)」とあった。
(続)
野瀬泰申(のせ・やすのぶ)
<略歴>
1951年、福岡県生まれ。食文化研究家。元日本経済新聞特任編集委員。著書に「天ぷらにソースをかけますか?」(ちくま文庫)、「食品サンプルの誕生」(同)、「文学ご馳走帖」(幻冬舎新書)など。
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