ヒラツメガニとバーベキュー
2023年7月31日(月)
黒石の湯宿を発って、下北半島の付け根に位置する三沢に着いたのは正午前だった。目的はヒラツメガニと昼イカだ。
ヒラツメガニというカニの存在を知ったのは、何年前のことだったろうか。夏の盛りの八戸で、旧知のTさんが今は閉店したデパートの地下売り場を案内してくれた。デパートには珍しく鮮魚売り場に水槽がある。
「この小さなカニを見たことがありますか?」
「いいえ、初めてです」
するとTさんは何杯か買い求め、なじみの郷土料理の店に茹でてくれるよう頼んだ。間をおいてその店に行くと、カニが真っ赤に茹で上がっていた。Tさんはカニの甲羅を下にしてがばっと身をはがして言った。
「甲羅の縁のところを指でぐるっと掻き出して食べてください」
言われた通りにやってみると、指先に黄色味を帯びたミソがたっぷりとついている。指先をなめた。なんというコクだろう。もう一度、甲羅の縁に指を入れて円を描く。なめる。未知のうまみ。
「身はどういうふうに食べるんですか?」
「身を取り出すのが大変なので、食べません。味噌汁の実にするといい出しになります」
この出来事が忘れられず、もう一度味わいたいと思い続けていた。聞けばこのカニは三沢辺りでよく獲れるという。そこで市内の寿司・割烹「福水」にヒラツメガニと名物の三沢昼イカを予約した。

店に着くと雑談の相手をお願いしていた地元漁協の参事、山本優さんと市の産業観光課副参事、熊野真希さんの姿があった。挨拶を済ませたタイミングで料理が運ばれてきた。ヒラツメガニは身をすべて取り出して甲羅に盛りつけてある。その上にミソ。かつて八戸で食べたものより格段に大きく、ミソは別種のうまみを持っている。身は思ったより甘い。当たり前だがトゲクリガニともワタリガニとも違う味だ。夜ならば迷わずビールを頼む。

三沢昼いかはスルメイカで、朝のうちに釣り上げて昼に出荷すると、翌日早朝に新鮮な状態で豊洲の市場に並ぶ。山本さんは「明るい時間に漁をしますので、集魚灯の経費がかからない上に、漁師さんたちの体も楽です」。

イカはご覧の通りの色、形。肝が添えてある。夜ならば迷わず日本酒を頼む。しかしいまは真っ昼間なので、刺身を醤油にちょんとつけてご飯の上に。「うまい」という言葉しか浮かばない。
そうだ、ヒラツメガニだった。
「年中獲れますが、夏場に大きくなって身も詰まってきます。オス、メス、ミソと食べ応えがあります」と山本さん。
「お盆のころ、家で塩ゆでしてガンガン食べます。知り合いの漁師さんや近所の人が持って来てくれるんです。たくさんあるからなくなるまで食べますよ」と言ったのは熊野さんだ。
「食べる」と言っても丁寧に身を取り出して口に運ぶわけではなく、身が集まっているところにかぶりつき、ミソをなめるの繰り返しらしい。細い脚の部分は噛んで身を引き出す。
「大人のぜいたくなおつまみですかね」
津軽では花見の時期にトゲクリガニを食べる。ならば三沢ではヒラツメガニなのか。
「花見のときはバーベキューに決まっています」と二人が声を合わせた。
「自宅の庭とか公園ですね。花見がバーベキューシーズンの始まりで、雪が降るまでどこかで誰かがバーベキューです。お盆もバーベキュー。精肉店に肉いくら分、味付きか味なしかなどを指定して注文すると焼き台など一式を運んできて、終わったら回収してくれます」
「公園でバーベキューですか? 公園で火? 普通はだめですよね」
そう尋ねると二人は含み笑った。それが答えだった。
三沢のバーベキューは、市内にある米軍基地から伝わったものだろう。友人、職場といった内輪の楽しみで、専門店があるわけではない。だから観光客を呼ぶ手段にはしにくいのだが、地域を代表する食文化であることは間違いない。民族学者の石毛直道先生によると「食べ物を家族が分け合って食べるのは人間だけ」だそうだ。家庭の外にもそんな舞台がある三沢市民が少し羨ましい。
次の目的地は八戸だ。あすから八戸三社大祭が始まる。津軽が「ねぶた」「ねぷた」なら、南部地方最大の祭りが三社大祭。これを見ないで青森県は語れない。

車が八戸漁港にさしかかると「浜市場 みなとっと」が見えてきた。午後も遅くなっていたので混雑はしていなかったが、まだまだ新鮮な魚介類がそろっていて、ヒラツメガニを売っている。三沢で食べたものよりかなり小さい。そして驚くほど安い。これだけ入っていて200円だ。三沢市役所の熊野さんが「がんがん食べる」と言っていたのは、このサイズのものではないだろうか。
青森県の日本海側ではベニズワイガニやワタリガニが獲れる。陸奥湾ではトゲクリガニ。小川原湖にはモクズガニがある。太平洋側ではヒラツメガニ。知られていないが、様々なカニが青森県の四季を彩る。青森は隠れたカニ食い県なのだ。

夕方になって八戸市役所近くの広場に行くと三社大祭の前夜祭が執り行われていた。人が多くて遠くから見るしかなかったが、運行を控えた山車の周りの人々から熱気と興奮が伝わってくる。何しろコロナ禍で3年も我慢してきたのだから無理もない。翌日の本番を楽しみにして八戸ニューシティホテルの中にある「魚菜工房 七重」の暖簾をくぐった。

ここでもヒラツメガニ。オス、メス1匹ずつの割り当てで、自分で甲羅を割って食べた。身もちゃんとある。個体差なのだろうか、三沢で食べたものとは微かに違う味がする。

この店の名物は地元で水揚げされたサバで、3日かけて塩と酢で締めたものを「虎鯖」(登録商標)と名付けて出している。この日は虎鯖の押し寿司が登場した。ことさらに味の説明をしたら、かえって野暮になるだろう。
昼間の暑さで火照った体に、キンキンに冷えたハイボールが沁みわたった。
野瀬泰申(のせ・やすのぶ)
<略歴>
1951年、福岡県生まれ。食文化研究家。元日本経済新聞特任編集委員。著書に「天ぷらにソースをかけますか?」(ちくま文庫)、「食品サンプルの誕生」(同)、「文学ご馳走帖」(幻冬舎新書)など。
◇店舗情報◇
店舗名 | 寿司・割烹 福水 |
住所 | 三沢市中央町2丁目3ー7 |
電話 | 0176ー53ー8167 |
その他 | ヒラツメガニ及び昼イカは、予約が必要です。 どちらも、漁期並びに天候により、仕入れが困難な場合がありますので、予めご了承ください。 |
店舗名 | 魚菜工房 七重 |
住所 | 八戸市売市2丁目12ー21 |
電話 | 0178ー46ー0311 |
その他 | ※ヒラツメガニは通常メニューではございません。 今回は特別に、お店の許可を得て手配していただきました。 |
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