青森県南東端 21世紀に謎の廿一を探して
以前、青森県南西端の「板貝」を目指した。となると逆側のはじっこ、南東端にも行かねばなるまい。私は青森県を極力すみずみまで征服したい。青森のすべてをこの手に収めたいという壮大な目標があるのじゃよ。
そのほかにも、南東端に惹かれる理由はある。最南東端の集落の住所は、階上町道仏廿一という。階上町の、道仏という地域(大字)の、廿一という集落(小字)。読みにすると、はしかみちょう・どうぶつにじゅういち。
動物21……?
まるでアニマルプラネットの番組名のような不思議な響き。この名前にも惹かれて、最南東端へ出発じゃ。
公共交通機関で行く私の最東南端への道は遠い。青森から八戸に出て、八戸線で13駅。県境最寄りの「角の浜」駅まで行き、そこから歩く。県境までは1キロもなく、ちょうどいい散歩です。
ちなみに角の浜駅は岩手県である。今回も、楽しい徒歩での県境越え。
角の浜駅は周辺にこれといってなにもない、のんびりした駅です。いつもどおり、駅でお供の方と待ち合わせ。今回のお供は5号氏単独である。

津軽地方出身の5号氏、角の浜駅はもちろん、階上町のほうまで来ることもまずない。私も階上町は初訪問である。
駅から海は見えないものの、数分も歩けばすぐに目の前は海である。

「景色はいいですね。のんびりしてますねえ」
「特に何もないっちゃないですね」
これといってトピックを見いだせずに我々は県境へ向かう。すると……またも第一村牛発見。

「この散歩、やたら牛見ますね」
「僕は見てないですよ」
牛からも特に話は広がらず、なんてことない道を進む。すると……




「なにもない村」なんていう言い方はするけど、何もないことをわざわざ看板で示すとは……。「空白」「無」を表す看板がこんなにも大量にある村は未体験だ。
すると、5号氏が、空白の矢印が示すほうの脇道にズンズン入っていった!いったいそっちに何が?無に飲み込まれてしまうよ!
「看板の意味、これじゃないですかね?」


木々の間の脇道を奥まで入って行くと、急にこんな立派な建物があったのだ。が、まるでひとけがない。その場でスマホで調べてみると、営業しなくなって10年以上は経っている様子。
看板もこの旅館のものだったのかもしれない。建物はそんなにくたびれてないし、県境の湯としてまたやってくれないかなあ。
……と、ここまでは岩手県の話である。本題はここからだ。いよいよ県境が近づいた。

以前の最南西端と違い、意外にも「青森県」のアピールがない。国道ではない細めの道だからアピールが控え目なのか。
よく見ると、センターラインが途中までしかない。ここで管轄が分かれている、つまりこのラインが県境なんじゃないかな?道路上にもうっすら境目が見えるし。
ということで以前もやりました、「県境を股にかけた活躍」を……。

ここはおそらくこの小川が県境なので、分かりやすい。しかし、かなり小さな川なので、名前がどこにも書かれていない。
あとで調べると、「二十一川」という川らしい。いい名前!集落名は「廿一」で、川は「二十一」。表記が違うのね。

青森県側に入るといきなり集落がある。脇道を東に入り、海に出てみることにする。


海岸手前の芝を歩いていると、気になるものが。

私たちは芝を駆け、旗の下まで行ってみた。すると、石に「縣堺石(≒県境石)」と書いてある!

この縣堺石、そうとう昔に置かれたものだと思われる。そのあと海側を見てみると、なんと海中にも何かある!


われわれはなんだか感動してしまった。境目がこんなにしっかりと、容易になくならない形で彫られているなんて。
陸側の川沿いにもちゃんと「堺」の石を置き、旗まで立て、さらには河口の延長線上の海中にまで「堺」の石を置き、誰にもしっかり分かるようにしている。最南西端以上に境目がしっかりと生きている。

と、境目は十分に楽しんだのですが、そういえば「廿一」という名前はあまり味わえていないな。「二十一川」だって現地では名前が分からなかったし、「廿一」という字面も、21という数字も、現地にはほとんど見られない。由来も気になる。

道に戻って廿一の集落を歩いていると、なにやら巨大な玉を運ぶ村人を発見。

これはあれだ、かんぴょうの原材料のあれじゃないですか?
そう思って聞いてみると、確かにかんぴょうの元である「ユウガオ」だったのですが、そのまま煮て食べるのだそう。廿一周辺ではこの巨大なユウガオを運ぶおばあさまを何回か見まして、独特のよい風景でした。
しかし「廿一」の謎は解けない。私たちは階上町役場に向かい、ちゃんと聞いてみることにした。以下、むかしばなし。
……むかーしむかし、このあたりには漁師の家が21軒あったそうな。その村では、鶏の肉を漁の餌に使っていたのじゃと。
ある夜、鶏の鳴き声を合図にして村人たちは漁に出たが、夜が明けぬうちに大しけとなり、漁船は難破してしまった。のちに浜に打ち上げられた船には、鶏の羽毛や肉がこびりついていたという。村はそうして衰え、滅んでしまったそうな。鶏のたたりがあったのじゃ。
……なんちゅう話だ。「廿一」に鶏は関係なかった。最初に「21軒あった」というところまででいいのに、なんか鶏のすごい怖い話がついてきたぞ。
ついでに、あの「堺」の石についても教えてもらえた。
石と石をつないだ線はもともと漁業権の堺で、県境もそれを元に後から決めたのでは、という話だった。むかしむかしはやはり境目で揉めたこともあったそうで、解決したので石を置いた、とのこと。旗があるのは海側に向けたもので、海から見たときに漁業権の堺が分かりやすいらしい。
ということで、残念ながら現地で「廿一」な感じはあまり発見できなかったけれど、思った以上に境目が味わえるし、なにより景色がいいし。
最南東もとても気持ちのいい場所でしたとさ。

by 能町みね子
【プロフィール】
北海道出身。文筆業。大相撲好き。南より北のほうが好きで青森好き。著書に、『逃北』(文春文庫)、『結婚の奴』(平凡社)など。アンソロジー小説集『鉄道小説』(交通新聞社)では青森の妄想上の鉄道について書いている。新刊『ショッピン・イン・アオモリ』(東奥日報社)が大好評発売中!
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