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Story2北国ならではの食の知恵を訪ねる

“地元の家庭料理”から“地域の誇り”へ。八戸せんべい汁の出世物語。

南部の粉文化

八戸観光コンベンション協会 木村聡さん

八戸観光コンベンション協会に勤務する木村聡さんは、今や国内最大級の集客を誇るまちおこしイベント「B-1グランプリ」の生みの親。たった2日間のイベントに数十万人が集まるほどの盛況ぶりを毎年叩き出す「B-1グランプリ」の発想は、実は木村さんが八戸の日常の暮らしぶりに着目したことから生まれました。
それが「八戸せんべい汁」。肉や魚、野菜やきのこなどで出汁を引いた汁に、小麦粉と塩でつくる鍋用の南部せんべいを割り入れて煮込んで食べる、八戸ならではの郷土料理です。

八戸せんべい汁

今では親しみを込めて「汁゛研(じるけん)」と称される「八戸せんべい汁研究所」を木村さんが立ち上げたのは2003年のこと。その前年に東北新幹線が八戸へ延伸したことを受け、八戸の認知度を上げる術を考えていた木村さん。
当時は“はちのへ”という読み方すら認知されておらず“はっと”とか“はっこ”と読む人も少なくなかった。ショックでしたねえ…。読み方すら知らない街に行きたいと思いますか? まずは八戸のことを知らなければ、誰も来てくれない。イカやサバの美味しさは八戸の自慢でしたが、当時、県外はもちろんのこと、隣の町にも知っている人がほとんどいなかった「八戸せんべい汁」に、木村さんは大きな可能性を感じました。

おつゆせんべい

「八戸せんべい汁」について少し解説しましょう。主役はもちろん、小麦粉と塩でつくったタネを専用の型で焼いた鍋用の南部せんべい(「おつゆせんべい」とも呼ばれています)。

おつゆせんべい

肉や魚、野菜やきのこなどでとった出汁の中に、せんべいを割り入れて、煮込んで食べる八戸地方の郷土料理です。出汁や具から出るうま味を満遍なく吸い込んだせんべいは、まさにうま味のスポンジ状態。

八戸地方の郷土料理

実はこのせんべい、昭和30年頃に汁もの専用に開発されたもので、煮込んでも溶けにくく、食べると独特の食感があるように焼き上げられています。
10分から15分ほど煮込んで、せんべいが出汁を吸い込み、芯が無くなる寸前のアルデンテ状態が食べ時。もちもちした食感と、噛むたびに溢れる出汁のうま味とが相俟って、愛おしさすら感じてしまいます。

せんべいの割り方

実はせんべいの割り方にも作法があって、ちょうどメルセデス・ベンツのエンブレムのように美しく3等分するのが、地元のスタイル。
口に入れるのに適度な大きさだし、均等な大きさならせんべいを煮る時間も等しくなるし…という理由なのか否かはわかりませんが、とにもかくにも「八戸せんべい汁」についてもっと知りたくなってしまったみなさんは、「汁゛研(じるけん)」のホームページで詳細をお読み下さい。
WEBサイトはこちら

せんべい汁、200年の歴史!?

調べれば、せんべい汁は200年以上も前の江戸時代から八戸の人々の間で食べ継がれてきた郷土のソウルフードだったことも分かりましたと木村さん。
そもそもなぜせんべいだったのか?を調べてみると、それは八戸などを含む南部地方の気候が影響していることがわかっています。
北東から吹く「やませ」の影響で、夏に気温が上がらないなどの理由で、稲作が困難だった南部地方。
人々は米以外の雑穀、例えばせんべいの原料となる小麦だけでなく、蕎麦や大豆や粟などあらゆる穀物を栽培しつつ、独自の食文化を営んできました。

139回…

「139回」。さて、これは何を表した数字でしょうか。
正解は、南部地方が742(天平14)年の凶作以来、2003(平成15)年までに冷害・飢饉に見舞われた回数です。手塩にかけて育てた作物が形に残らないことは日常茶飯事。
常に食料不足と背中合わせの状態だった時代も長かったのです。
しかし、食料不足と隣合わせの暮らしであっても、南部地方の人々は妥協することなく、美味しい知恵を生み出しました。
雑穀を、粉にしたり、練ったり、茹でたり。豆で米粉をかさ増しして、腹持ちのよい「豆しとぎ」と呼ばれる餅をつくったり、小麦粉で煎餅をつくって保存し、汁物に割り入れたり…。限られた材料で少しでも美味しく生き抜くための執念深さから生まれた伝統的アイデア料理が、この地域には多々あるのです。

豆しとぎ

豆しとぎ 豆しとぎ

「しとぎ」とは本来、米でつくった餅のこと。しかし、米が不足していた南部地方では、米に大豆を加えたり、大豆そのものでつくったりする「豆しとぎ」が一般的でした。これも南部の特徴的な伝統食です。

ひっつみ

ひっつみ ひっつみ

すいとんのようなこの料理は、南部地方における主食的存在です。出汁は煮干し、具は野菜や肉など。ぬるま湯で練った小麦粉を「ひいたりつまんだり」して入れることから「ひっつみ」と呼ばれます。

かっけ

かっけ かっけ かっけ

打って伸ばした蕎麦を“かけら”のような形に切り揃え、昆布と煮干しでとった出汁で大根、豆腐、そばかっけの順に入れ、ねぎやにんにくの味噌で食べる郷土料理です。

せんべい赤飯

せんべい赤飯 せんべい赤飯

甘い赤飯を2枚のせんべいでサンドするという、若干度肝を抜かれる食べものですが、これは農作業時に持ち歩きやすいよう、農家が考えたアイデアだとか。山菜おこわを挟むケースもあります。

“粉”文化の国、南部地方。

というわけで、南部地方はせんべいを筆頭にした粉文化の国。少し脱線しましたが、話を「八戸せんべい汁」に戻しましょう。 200年も食べ継がれてきた郷土料理なのに、ところが隣町ですらその存在を知らない。…なぜか?それはせんべい汁が家庭で食べるものだったからです。しょっちゅう晩ごはんに登場するんです。ご飯と焼き魚や刺身があって、味噌汁が時々せんべい汁になる…というような本当に家庭の食事なんです ごく日常の家庭の料理が観光のコンテンツとなるなんて、当時は誰も信じなかったそう。 「せんべい汁なんてお客さんにお出しするものじゃないでしょう?」「恥ずかしいからせんべい汁なんてPRしないで!」という声まで出ました。しかし誰も知らないからこそチャンスがあると木村さんは言います。

度肝を抜かれる経済効果

大切なのはせんべい汁を通して八戸を知ってもらうこと。
まずは、歴史・食文化・飲食店など「八戸せんべい汁」のポテンシャルを徹底的に調査し、さまざまなおもしろい工夫をスピーディーかつ継続的に実践することでマスコミへの露出を増やし続けました。
鍋料理にせんべいを入れて煮込むというユニークさも手伝って、今まで誰も知らなかった美味を体験した人たちが自ら発信、せんべい汁とともに八戸の認知度も徐々に上がり、今やせんべい汁による八戸市の経済効果は年間500億円を超えるという試算も(総務省調べ)。

“料理”から“誇り”へ!

せんべい汁

その結果に得たものがとても大きかったと木村さん。八戸のせんべい汁は、その瞬間に地元の“料理”から地元の“誇り”へと出世したんです
木村さんは、青森ならではの暮らしぶりを観光コンテンツとして捉えた、まさに元祖。
「とにかく楽しく、常に遊び心を忘れずに、自分たちも楽しめることを継続すること」を胸に刻みながら、「八戸せんべい汁」をツールとして八戸をわくわくさせ続けています。どうでしょう?近々本場の「八戸せんべい汁」を八戸の街で堪能してみては?

八戸せんべい汁研究所

八戸せんべい汁研究所
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ご当地グルメでまちおこしの祭典!B-1グランプリ
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八戸観光コンベンション協会
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